エンドレス・サマー


雑誌『ブルータス』の『A Touch of Glory』という連載を中心に構成された短編集です。
『エンドレス・サマー』『オリンピックをめぐって』『セカンド・ハーフ』の3部構成となっています。
雑誌掲載時と本の出版時で状況の変わってしまった選手についても、手直しはせずそのまま掲載したそうです。

≪エンドレス・サマー≫
『変身について』
広岡監督によってすっかりその気になってしまったという田淵幸一について。彼が如何に楽天的で純粋な人間であるかを、 いくつかのエピソードを交えて紹介しています。当時流行っていた『がんばれタブチ君』というマンガが全くのフィクション という訳でもなかったんだなあと思ってしまいます。

『ウサギとカメ 緒篇』
当時、勝てない時期が続いていた尾崎将司について。あまりにも才能溢れるゴルファーでありすぎたために、若い時期さほど 努力もしないで勝ちつづけることができた尾崎は、やがてゴルフに飽きてしまったんだといいます。彼はしばらくゴルフ以外のことに 時間を浪費しました。音楽、車etc・・・。
その時間と才能の浪費にも飽きてしまった彼の興味が再びゴルフに戻ってきます。 だから彼のゴルフは変わるはずだと山際さんは書いています。
その後10年、日本のゴルフ界は尾崎一色になったことは皆さんご存知のとおりです。

『ハードボイルド』
新日鉄釜石ラグビー部の監督兼選手松尾雄治について。彼は優秀なラガーマンであるだけでなく、ひとりの男としてもダンディーで 魅力ある人間であると書かれています。彼ならばハードボイルド小説の主人公になりうると。

『ある日の北の湖』
引退が間近に迫っている頃の横綱北の湖について。二十一歳の若さで『とりあえずのゴール』である横綱に昇進した北の湖は、 後はその地位を守るためだけに戦いつづけなければならず、そのため彼の顔から若々しさは消え大人びた表情になってしまいました。 そして憎らしいほどの強さを発揮し『北の湖時代』を築き上げました。しかしそれも年齢を重ね、体のあちこちに故障を抱えるように なると、台頭してきた若い力に押されるようになるのです。

『ノックアウト』
『ナニワのロッキー』赤井英和について。赤井の持つ12連続KOの記録はデビュー前から狙っていたものだといいます。 できたばかりの小さなジムに所属していた赤井にとって、世界を狙うためには派手な記録で世間の注目を集める必要があったのです。 慎重なマッチメイクでKO記録を伸ばすと、予定通り彼は『ナニワ』のヒーローになっていくのです。

『目標?6000勝だんべなあ』
川崎競馬の大騎手、『鉄人』佐々木竹見について。佐々木の残してきた記録の凄さもさることながら、彼が如何に南関東の競馬ファンに 愛されてきたのかがよくわかります。
この文章が書かれたのは5500勝を達成した昭和58年。彼はそのときの目標をタイトルのように語っていました。すでに年齢は 42歳になっていました。しかし、そんな彼が引退したのはつい先日(2001年7月)なのです。勝数は7000を越えていました。
テレビの取材を受けていた彼は体中の骨折の治療跡を見せ、
「体中に鉄が埋まってるからみんな『鉄人』って呼ぶんだよ」
といって周囲を笑わせていました。もちろん青森訛りの言葉はそのままで。

『スポーツマンのどアップ』
長嶋・王のあとの巨人の主役として期待された原辰徳について。彼は彼自身の選手としての実績や魅力ではなく、メディアの力に よって主役の座に就きました。結果的には彼は巨人の4番としては物足りない選手だといわれたまま現役生活を終えることになります。 彼が残した成績は決して平凡なものではありませんでした。それでもあまりにも先攻しすぎたイメージに勝つことができなかったのです。

『ホットコーナー』
『絶好調男』中畑清について。原辰徳の入団によりそのポジションを奪われたが、中畑には三塁手(ホットコーナー)が似合うと 山際さんは書いています。ホットコーナーを守る男には、『打球を怖がらないこと』『チーム内の派閥のボスであること』 『いかつい顔であること』『酒と女に強いこと』ナドナドたくさんの条件があり、原よりも中畑の方がそれにピッタリだと。
結局その後山際さんの願いはかなえられることなく、中畑は一塁手として現役生活を終えてしまいます。

『ラビット・ランナー』
シーズン盗塁数のセ・リーグ記録を33年ぶりに塗り替えた巨人のリードオフマン松本匡史について。 彼は新記録となる75個目の盗塁(最終的には76個)を成功させた時点で、三塁への盗塁が僅かに2つしかありませんでした。 これは『世界の』福本や同世代のライバル高橋慶彦と比べとても少ない数字です。勝利を優先した手堅い巨人の野球が松本の三盗を 阻んでいるのでしょう。しかし山際さんは、松本がアグレッシブにホームスチールを決める日を待ちわびています。

『KONISHIKI』
『小錦旋風』といわれ破竹の勢いで番付を駆け上がっていっている頃の小錦について。彼には、高見山のような先駆者としての苦悩や 若高見のような気のやさしさという弱点はありませんでした。ただひたすらに体を大きくしてプッシュしつづける、 それだけで良かったのです。そうして出世街道を驀進した小錦でしたが、その後は高見山同様の苦悩を味わうことになりました。
ところで今彼がタレント活動で使ってる『KONISHIKI』と本文のタイトルは偶然なのでしょうか?

『テスト生』
プロテストで巨人に入団したある捕手の話。彼は県大会の準決勝で敗れた高校野球部の4番を務めていました。 卒業後、千葉県の社会人チームに入りますが、そこであっさりとレギュラーを獲ってしまったことに物足りなさを感じます。 そして帰郷を決意し、その前にトライした巨人のプロテストで合格するのです。
『"壁"で終わるつもりはない』という彼でしたが・・・。

『タマサブローのその後』
甲子園で活躍し、プロ入りした三浦広之について。プロリ後2年間はソコソコの成績を残しますが、3年目の肩の故障から 全てが狂い始めます。投球フォームを何度かいじるうちに本来の球の切れをなくしてしまいます。そして24歳になった シーズンオフに彼は野球をあきらめ、プロゴルファーへの道を目指すのです。

『あるラガーに関する二つの話』
怪我から復帰しようとしているある現役ラガーの取材で、九州男児の豪放なオールド・ラガー土屋英明に知り合います。
彼は明治大学ラグビー部出身でしたが、彼の自宅では出身校にかかわらず多くのラガーメンが集いビールの飲み交わしました。
そんな彼が取材直後に53歳の若さで急逝してしまいます。おそらくこの文章はそれを受けて主人公を土屋に変更して書かれた ものなのでしょう。

≪オリンピックをめぐって≫
『ローカル・カウボーイ』
繊細なフォーミュラカーを思わせるマラソンランナーの中にあって、宗茂・猛の兄弟ランナーは全く異質なものを感じさせます。
彼らはごつごつした山道を駆け回るようなクロスカントリーを練習に取り入れたり、川水を飲みスイカにかぶりつきながら120キロ の長距離を走りぬいたりするのです。そんな二人の目標は五輪ではなく、『何歳まで第一線で走れるか。』にあるそうです。

『短い夏』
1983年、まだ22歳ののカール・ルイスはシーズン初めの競技会において100m,200m、走り幅跳びの3種目で 優勝しました。さらに彼はいずれ400mにも出場する可能性があるといっています。このとき山際さんは、カール・ルイスは 短距離選手としての『短い夏』を一気に駆け抜けようとしていると見ています。しかしこの予想は見事に外れます。 カール・ルイスはその後十年以上も世界のトップアスリートでいつづけたのですから。

『ハンマーとスピードの関係』
二十代でミュンヘンとモントリオールの五輪を経験したハンマー投げの室伏重信は、30歳を過ぎた頃、これ以上記録は伸びない だろうと引退を考えました。
しかし、一年近いのブランクのあと33歳になって初めて70mの大台を越えるのです。 その後も記録を伸ばしつづけ、37歳になって75mのラインを突破します。おそらく一時的なブランクが彼の投てき技術に 何らかのきっかけを与えたのでしょう。彼自身は77mまで記録は伸びるのではないかと見ています。
この室伏重信はもちろんあの 室伏広治の父です。だからといって広治があと十年以上も記録を延ばしつづけられるとは限らないですけどね。

『瀬古利彦について』
ロス五輪を目前に控え、瀬古利彦はダントツの優勝候補でした(結果的には惨敗しますが)。
瀬古のレース振りはいつも同じでした。先行するランナー(主にイカンガー)の背後にぴたりとつけて、42キロを走り終えた後の 競技場のトラック最後の直線で一気に先頭にたち逆転するというものです。当時小学生だった私の目にもそのレース振りは姑息に写り、 その名前もあいまって『セコいランナ―』という印象を持っていました。そんな彼への山際流の提言といった文章です。

『コー&オベット』
1980年代、陸上中距離を盛り上げた二人のイギリス人ランナーについて。二人はマイルレースで激しい世界記録更新の競争を演じ、 その更新期間を一年、一週間、そして最短では2日にまで縮めていきます。その絶頂期に山際さんは二人のうちインタビュー嫌いで 通っていたオベットに会う機会を得ます。そのインタビューでのオベットの洒落たコメントを
『僕は別にインタビュー嫌いじゃないんだ。セブ(コーのこと)がグッド・フェイスでTVインタビューに答えてるんだから、 僕は逆をやったほうがいい。そのほうが面白いだろう。』

『ウェイト・リフター』
『人間というものは自分の望むとおり、強くなることができるのだ。』
というソヴィエトのウェイト・リフターの言葉どおり、自分で自分の限界を突き破ろうとしているウェイト・リフター砂岡良治について。 ウェイトリフティングのコーチは、選手が重量の壁を迎えたとき、選手に嘘の重量を伝えて意識せずに壁を越えさせようとするそうです。 まるで子供の嫌いな野菜をカレーの中にすりつぶして食べさせるかのようですね。自分の体に無意識に設定してしまった限界を 越える方法としては、最近ではスピードスケートの清水宏保選手のトレーニングなどが有名です。

『予定どおり』
『キリンのように長い首をした、やたらに手が長いノッポのボクサー』マーク・ブリーランドについて。 山際さんはこの才能溢れるボクサーがオリンピックで金メダルを獲得した時点で、『覚えておくべきボクサーだ』と断言しています。 事実、ブリーランドは自身の予言どおりWBAウェルター級王者に就きます(但し予言より一年遅れの1987年)。
彼のボクシングのしなやかさを見事に表現しているくだりを紹介します。
『(対戦相手の)パンチは剛速球投手が生卵を投げたようなものだった。ブリーランドはそれを一つも割ることなく、 ふわりと受けとめてみせた。』

≪セカンド・ハーフ≫
『サイボーグ』
中島常幸は、デビュー直後から新人離れした正確なショットで勝ちまくりました。ところが23歳で出場したマスターズ選手権で 世界のゴルフの壁の高さを見て以降、国内ですら容易に勝てなくなります。そのスランプはおよそ3年間もの間続きますが、スランプ を脱出するためには、ゴルフ技術の成長だけではなく、中島自身の大人への成長が必要だったのです。

『0−1のスコア』
西本聖は、無名の高校時代、当時すでに『怪物』といわれスター選手だった江川卓と投げ合ったことがありました。 その練習試合は江川に決勝タイムリーを打たれ0−1で敗れましたが、西本自身にとってはとても印象深い試合となりました。
その後ドラフト外で巨人に入団した西本は、後にチームメイトとなる江川や同期のライバル定岡、そして西本を批判するマスコミや 最後には巨人軍そのものに対する反骨精神を武器にプロの世界で活躍していきます。

『トライ』
日本人として始めて海外のサッカーリーグにプロとして契約した奥寺康彦について。彼は優勝争いをしているシーズン後半の 試合でのたった一本のシュートがきっかけで、自分がドイツのサッカーリーグでやっていけるという自信をつかんだそうです。
今から二十年以上も昔、世界と日本のサッカーにはとてつもないレベルの差があると思われていた時代です。奥寺が感じた不安や迷いは 今の選手の比ではないでしょう。

『草魂について』
『草魂』鈴木啓示について。鈴木は入団当初から『遊びが中心で、そのあいまに野球をしている』近鉄バッファローズの チームメイトとは一線を画し、一匹狼的に野球に取り組みます。遊ぶことよりも体の手入れに気を配りました。その結果が 300勝や3000奪三振といった記録につながったのです。

『セカンド・ハーフ』
1960年代から70年代にかけて日本のサッカー界をリードしつづけた釜本邦茂について。1968年のメキシコ五輪での 銅メダルのあと、全日本チームは始めてのワールドカップ出場を目指します。しかしその時、チームの中心の釜本が肝炎で チームを離れてしまいました。もし釜本が肝炎にかからずチームの一員として活躍していたなら日本のサッカーの歴史は 変わっていただろうといわれています。釜本はそれほどの選手でした。
釜本が40歳まで現役を続けたのは、その間に釜本を脅かすだけの選手が現れなかったということもあるでしょう。

給料前でお金がない・・ 独自ドメインの取得をするなら 過払い金の回収ならこちら