いくら半額になっていたからといって、どうしてこんなケーキを買ってしまったのか。博はバスの座席に腰掛け、膝の上に置いたクリスマスケーキを見ながら思った。少しくたびれたコートを着たサラリーマンらしき男が生クリームにするか、チョコレートにするか、バタークリームにするか、延々と迷っているのを横目で見ながら、気がついたら自分もクリスマスケーキを求めていた。せめて、一番小さいケーキにすればよいものを、なぜか真ん中の大きさのケーキを買ってしまった。一人で食べきれるはずもないのに。
 12月25日の9時過ぎのバスは空いていた。数人のサラリーマン。うち、一人はやはり大きなクリスマスケーキの箱を持っている。あれも半額だったんだろうか。ふと、博は思った。パーティの帰りだろうか。着飾ったOLが一人。そして、子供が一人。小学生らしきその男の子は、リュックサックを背負い、一人窓の外を眺めている。やれやれクリスマスにも塾なのか。
 数分もうとうとしただろうか。
「次は平和が丘」
 アナウンスが告げた。博が慌てて、ブザーに手を伸ばそうとする前に、少年がブザーを押した。
 先に降りた少年は、バスストップの前からなかなか動こうとしなかった。親の迎えが間に合わなかったのか、博はそう思いながら家への道に向かおうとした。街灯はついているが、人通りはなく、家々の明かりだけが人間の気配を感じさせている。博はふと気になり、もう一度、バスストップの方を振り向いた。少年は、一生懸命路線図を見ている。
「どうかしたかね」
 博は思いきって声をかけた。
 少年は一瞬警戒した顔つきになった。が、やがて口を開いた。
「あの、ここって平和が丘ですよね」
「そうだよ」
「平和が丘団地ってどう行けばいいんですか」
「団地のどこかな。すごく広いんだよ。平和が丘1丁目から3丁目まであって、全部団地になってるんだが」
 少年は途方に暮れた顔をした。一体、何だってこんな夜遅くに子供が一人で、団地探しなんかしてるんだ。博の方が疑問に思う番だった。
「わからないんだね。交番に行ってみようか。きっと見つけてもらえるよ」
「いいんです」
 少年は慌てて言った。
「いいって」
「大丈夫。自分で見つけられると思います」
「番地もわからないのに?一体誰の家を探しているんだい。友達か。電話番号はわからないのかい」
 少年はかぶりを振った。
「パパなんだ。でも、ずっと小さいとき会ったきりで。平和が丘団地に住んでるらしいって、それしかわからない」
 博は絶句した。
「ずいぶん無茶だな。うーん。やはり交番に行くのが一番いいよ。一緒に行ってあげよう」
「いいんだ。警察は困るんだ。僕家出したんだから」
 言ってから、少年はしまったという顔をした。
 クリスマスに家出少年。とんだ事件に介入してしまったものだ。
「ところで君のお父さんの・・・」
 その時、車がヘッドライトを浴びせて通り過ぎ、博の言葉をかき消した。
「・・・浜崎淳一君っていうのか」
 博は少し声を和らげて言った。
「どうして知ってるの」
 少年は心底驚いた様子で聞いた。
 また、車がライトを浴びせて通り過ぎていく。博は少年のリュックサックの名札を指し示した。
「ここは寒いな」
 博はぽつりと言った。
「クリスマスケーキを買ってしまったんだ。ほら、これ、大きいだろう。半額だって言われてつい、ね。ところが、おじさん一人暮らしだから食べきれないんだ。それで、どうだい。とりあえず、おじさんの家に来て、温かい紅茶でも飲みながら、ケーキを食べて相談するっていうのは」
 少年は明らかに困惑した様子だった。
「こんな物騒な世の中だからね、知らない人についていけないよな。だけど、困ったね。ここに君を一人にしておくのも、心配だし」
「僕行くよ」
 少年はきっぱり言った。
「おじさん、悪い人に見えないもの」

 淳一が博についてきたのは、博の人柄云々よりケーキにひかれたためだったのだろう。よほど、おなかがすいていたらしく、ケーキを何切れもお代わりし、紅茶も三杯も飲み、食べ終わった頃にはまだ見ぬ父親のことなどすっかり忘れた様子で、こたつでくつろぎ、身の上話など始めていた。
「ママがいけないんだ。せっかく、クリスマスだっていうのに、斉藤のおじさん連れてきて。おまけに結婚するって言うんだ」
 淳一はふくれっ面で言った。
「ふーん。それはショックだったね」
 淳一は嬉しそうな顔になった。
「おじさん、よくわかってるね。そうだよね。子供の気持ちなんか、全然考えてないんだよ」
「それで、淳一君はその、斉藤のおじさんが嫌いなのかい」
「そういうわけじゃないけど」
 淳一は困ったように言った。
「意地悪なおじさんかい?」
「そんなことないよ。親切にしてくれるよ」
「それじゃあ、問題ないんじゃないかな」
「問題あるよ。大問題だよ」
 淳一は声を張り上げた。
「ママと結婚するんだよ。夫婦になるんだよ。ママと僕はずっと二人だけで暮らしてきたんだ。二人だけで助け合ってきたんだ。なのに、どうしてさ」
 博はもう一杯紅茶をついだ。
「なるほど。ママを取られたくないわけだ」
 淳一は赤くなった。
「違うよ。僕そんなに子供じゃないよ」
 淳一は照れを隠すように紅茶を一口飲んで、テレビの方に目を向けた。
「ビデオテープがいっぱいあるんだね」
「好きでね」
「おじさん、一人で寂しくない」
 淳一は無邪気に聞いた。
「淋しいときもあるけれど、一人は気楽だよ」
「ふーん」
 淳一はテープの背のラベルを眺めていた。
「ワールドカップだ!」
 急に淳一が素っ頓狂な声を上げた。
「UAE戦、カザフスタン戦、韓国戦。これってもしかして、この前のワールドカップの予選?」
「そうだよ。サッカー好きかい?」
「大好き。僕将来Jリーガーになるんだ」
 淳一の目は輝いていた。
「それは頼もしいね。好きなチームは?」
「ジュビロ!ゴンだよ。絶対、ゴン!」
「カザフスタンとイラン戦、活躍してたね」
「そうなんだ。なのに、ママったらイラン戦の途中でもう寝ろって言うんだよ」
「それは酷だな」
 博が笑いながら言った。
「そうだよ。ママはサッカーのことなんか何にもわかってないんだ。何回説明してもだめなんだ。イラン戦だって、すごく大事な試合だって言ってるのに、明日の学校の方が大事だって。いやになっちゃうよ」
「もう一切れ食べるかい」
 博はそう言ってケーキを切り分けた。
「うん」
 淳一は嬉しそうにまたケーキをぱくついた。
「女の人はサッカーがわからない人だっているさ。男にだっている。斉藤のおじさんはどうなんだい」
「サッカー好きみたい。でも、きっと僕に合わせてるだけだよ」
「そうだとしたら、君に好きになってもらいたいんだね」
「そんなことで好きにならないよ」
「でも、お父さんが出来たらいいと思わないかい。サッカーの話もできるし、試合だって連れていってもらえるかもしれない」
「無理だよ、そんなの」
 淳一は少し寂しそうに言った。
「どうして」
「斉藤のおじさんには僕は邪魔なんだよ。いなければいいんだ」
「そう思ってたら、君の機嫌なんかとらないよ」
「とにかく、結婚はいやなんだ」
 淳一は叫ぶように言った。
「でも、お母さんはどうなのかな。お母さんは寂しいんじゃないかな」
「そんなはずないよ。僕がいるもの。僕がずっとお母さん、守るもの」
「でも、君はJリーガーになるんだろう。Jリーガーになったら大変だよ。あっちこっち遠征に行かなくちゃいけないし。お母さんのそばにはとてもいられないだろう。それに、どうせなら、ナショナルチームも狙わなくちゃ。ワールドカップ、出たくないかね」
「ワールドカップ」
 淳一の瞳が夢見るように輝いた。
「君が大人になる頃は日本ももっと強くなってるかもしれない。いや、強くしていかなくてはね。君はサッカー選手になって世界に出て行くんだ。君の代わりに、誰かお母さんのそばにいてくれれば君も安心だろうに」
 淳一は考え込んでいる様子だった。
「頑張れば、ナショナルチームに入れるかな」
「勿論さ。これから一生懸命練習して、頑張っていけばね。難しいことではあっても、不可能ではないんだよ」
「ワールドカップか、いいな」
 淳一はぽつりとつぶやいた。
「ところで、イラン戦のビデオが撮ってあるんだけど、見るかい?」
「見る、見る」
 淳一は声を弾ませて言った。

「どうしてわかったの」
 博が車の中にすっかり寝入った淳一を運び込んだ後に、咲子が聞いた。
「リュックサックに名札がついていてね」
「助かったわ。もうどうしようかと。方々探したのよ。まさか、ここにいるとは」
「平和が丘団地という名前だけを頼りにやってきたらしい」
「とにかくよかった。ありがとう」
 久しぶりに見る咲子はさすがに年を取ったが、まだまだ美しかった。何よりも、以前のように生活やつれしたところがなかった。
「再婚するんだってな」
 咲子は少し間をおいて答えた。
「ええ」
「いい男か」
「ええ。私も淳一も大切にしてくれる。ただ、あの子が懐かなくて」
「うまくいくさ。時間が解決してくれるよ」
「そうね。じゃあ、私行くわ。元気でね」
「君も」
 博は後ろの席で眠っている淳一の姿をもう一度見つめた。
「Jリーガーになるんだ」
 嬉しそうに言っていた淳一の声が頭に響いた。
 咲子は運転席のドアを開けて、もう一度博を振り返った。
「幸せになれよ」
 博が言った。

「ママ、大変だ」
 家のポストから戻った淳一は封筒を振りかざして、慌てて咲子の元に走ってきた。
「どうしたの」
「手紙だよ」
「誰から」
「サンタクロース!」
 咲子は怪訝そうにその封筒を見つめた。
「だって見てよ、ほら。サンタクロースより、って書いてある」
 淳一は封筒の差出人の欄を指し示した。そこには確かに「サンタクロースより」と書いてある。
「開けてみたら」
 咲子は穏やかに言った。
「クリスマスは終わってるよ」
「そうね。北欧は遠いから、郵便渋滞で遅れたのかも。とにかく開けてみたら」
 淳一はおそるおそる封を開けた。
「あっ!」
 大きな声で叫ぶと淳一は中に入っていたものを取り出した。
「すごい!天皇杯のチケットだ。ジュビロの試合だ」
 淳一は小躍りしそうな勢いだった。
「ジュビロだ。ジュビロだ」
 淳一は変な節を付けて歌いながら、咲子の周りをくるくる回っている。
「ねえ、三枚も入ってる。サンタさんって、気前がいいね」
 咲子はチケットを受け取って眺めた。
「そうね。気前のいいサンタさん。それに、さすがに淳一がジュビロファンだってことも研究済みなのね」
「ねえ、ねえ、行っていいでしょう」
「サンタさんの贈り物に駄目とは言えないわね。山下君たちを誘ったらいいわ」
 咲子はチケットを淳一に返して言った。
「うん」
 淳一はじっとチケットを見つめていた。夢にまで見たジュビロの試合。生で試合が見られるなんて本当に夢みたいだ。ゴンがゴールを決めますように。きっと決めてくれるさ。僕もいつかジュビロの選手になりたい。ゴンみたいに。ちょっと図々しいかな。でも、夢はでっかく持たなくちゃ。
 淳一は咲子を見た。なぜか、今日の咲子はいつもみたいに
「また、サッカー」
 と、おこごとを言わない。やっぱり、サンタクロースの威力はすごい。
「あのさ、ママ」
 淳一は言いにくそうに言った。咲子が不思議そうに淳一を見た。後の言葉はなぜかスムーズに口から出てきた。
「どうかな。ママと僕と、それから、斉藤のおじさんの三人で行くっていうのは」
サンタクロースからの
贈り物



べべちゃん
今週のショートショート
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2001/11/26

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