会社から帰って居間の壁にかかっているカレンダーに何気なく眼をやると、きょうの日付が赤い丸で囲ってあった。

「おい」おれは台所で晩飯の支度をしている女房にいった。「きょう、なにかあるのか」

「なんですって?」

「カレンダーに印がしてあるじゃないか。なにかの記念日か」

「あら、忘れちゃったの?」

 おれは鞄と上着とネクタイをほうりだして食堂へ行った。

 最初の一歩が宙に浮いたままとまり、おれは眼を剥いていた。

「な、なんなんだそれは」

 テーブルにならんでいたのは赤飯と鯛のおかしらつきと伊勢海老と紅白の板わさだった。 女房がふり返ってにっこり笑った。

「しらを切るのもいいかげんにしてよね」

「わ、わからん。百合子の初潮か」

「まさか」彼女はぷっと吹きだした。

 おれは呆気にとられたままおそるおそるテーブルについた。

 階段を騒々しく駆けおりる音がして、娘の百合子と息子の幸夫がとびこんできた。

「あれ? 帰ってたの」

 娘へさしのべられたおれの両手はむなしく空気を抱いた。

 娘はそんなおれを冷めた眼でなかば馬鹿にするように見おろしている。おかしい。百合子はおれによくなついていて、帰ってくると真っ先におれに抱きついてくるんだが。

 幸夫のほうを見ると、彼もこましゃくれた顔をしておれを表情のない眼で眺めている。 ふたりはがやがやと腰をおろした。

 ふたりともクラッカーを手にしていた。

 女房がおれたちのまえに箸を順に置いていって、それからおれの正面に腰をおろした。「いよいよね」女房はそわそわしている。

「いよいよだわ」百合子も落ち着きがない。「どきどきするなあ!」幸夫は腰掛けのうえで飛びはねている。

 おれはわけがわからないまま箸をつかんで伊勢海老に伸ばした。

 つぎの瞬間、おれは箸を床に落としていた。 女房と子供たちが同時におれの手をぴしゃりとたたいたのだ。

「いてて! なにするんだ!」

「まだよ」女房が鬼のような眼でおれをにらみつける。

 子供たちもおれをにらみすえていた。

「もうすぐだな」幸夫が低い声でいう。

 沈黙が流れる。時計の秒を刻む音だけが部屋じゅうに響きわたっている。おれは怒ることもできずに身をかたくしてすわっていた。 いきなり時計が九時を告げ、おれはびっくりして飛びあがった。

 同時に百合子と幸夫がクラッカーをけたたましく破裂させた。

 女房が狂ったように両腕を振りあげて踊っている。

 呆然としたまま何気なく入口へ眼をやると、男が立っていた。

 そいつはおれがきょう会社へ着ていったのとおなじスーツを着ていた。

 そいつはおれとおなじ背格好だった。

 そいつはおれと瓜ふたつの顔をしていた。 ・・・そいつはおれだった。

「うわっ、なんだおまえは!」

「あなたっ! おかえりなさいっ!」

「わあ、パパっ、おかえりっ!」

 おれを除く三人がいっせいにそいつに駆け寄って抱きついた。そいつはおれとおなじ笑顔でかれらを迎えいれ、おれとおなじ声で返事をしていた。

 それから三人はおれをふり返った。

 ひどく長い時間が過ぎたような気がした。 気がつくとかれらはおれを椅子から突き落とし、おれは床にしりもちをついていた。

 空いた椅子にもうひとりのおれが悠然と腰をおろす。

 それから家族にむかってゆっくりといった。「長いあいだ留守にしてすまなかった」そして、しりもちをついたままのおれを指さして、「さあ、それはもう用済みだから」

 その言葉を合図に、女房と子供たちがわっとおれに駆け寄り、おれをかつぎあげた。

 おそろしい勢いで廊下を運び、玄関をとびだす。

「うわっ、よせっ! なにするんだっ!」

 三人はおれを神輿にしたまますさまじいスピードで走っていき、川岸にでた。

 三人は川べりにとまると、いちど息をととのえておれをかつぎなおす。

「せえのっ」

 女房の掛け声とともに、おれは黒ぐろとした水のなかにほうり投げられてしまった。

 一瞬、百合子がおれにむかって叫んだような気がした。

「ご苦労さまでしたっ、代理さん!」

 おれはわけがわからないままずぶずぶと沈んでいった。
代 理


弾射音
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作者紹介


弾射音(だん・しゃのん) ぱおにゃん?の前身「ぱおにゃんオンライン・マガジン」の執筆陣の一人。ていうか、大部分の作品を書いてペンネームをいくつも使い分けて載っけてた。1998年にSF長編「太陽が山並に沈むとき」でインターネット文芸新人賞に入選。そのほかに発表したのは「SFバカ本 たいやき篇プラス」(廣済堂 絶版)に収録された「夢の有機生命体天国」のみ。あはは。一時期ネットで小説を発表してただで読まれるのをしぶっていたが、全然売れないので反省してネットに復活した。デビュー作は無料化されて、青空文庫でダウンロードできます。

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2001/3/18

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