第6回


                      8

 哲郎は教室に姿をあらわさなかった。
 土曜日。
 一時間目がはじまるまえ、先生が出席をとるときに、哲郎が病院で検査を受けるために欠席することをしらせた。
 信也はなんだかほっとした。きのう、あんなふうにして哲郎の家から逃げ出してしまったからだ。
 そして、哲郎が病院へ行くために欠席したことでほっとしている自分に気づいて、ひどくなさけない、うしろめたい気持ちになった。
 一時間目がおわる。休み時間にはしゃぎ、大声でアニメやゲームのおしゃべりをし、走りまわる、クラスのみんな。信也は仲のいい数人と教室のすみっこにかたまって、きのう理科の時間にやった科学の実験のことを話しながらも、からっぽの哲郎の席が気になってしょうがなかった。
 二時間目がはじまる。ひょっとして病院の検査がはやくおわって、哲郎がはいってくるのではないかと思ったのだけれど、けっきょく、その授業のあいだも哲郎の席はからっぽのままだった。もっとも、もしもほんとうに哲郎がはいってきたら、信也はどうしていいかとほうにくれてしまうだろうと思った。まさか、逃げまわったり、どこかにずっとかくれているわけにもいかない。だからといって、きのうのことでなにか言われたら、なんとこたえていいかもわからなかった。だいいち、あやまらなければいけないことなのかどうかもはっきりしないのだった。
 ぼくは相沢くんに悪いことをしてしまったのだろうか――。
 だけど、まさか催眠術だなんて。
 三時間目がはじまっても、哲郎は姿をあらわさなかった。信也は先生の話に注意を集中させることができず、いきなり先生に指されて、立ち上がったはいいものの、質問すら聞いていなかったので、ただ口をパクパクさせただけだった。
 先生はちょっと怒ったが、信也はいつもはだいたいちゃんと先生の話を聞いているので、なんとか立たされずにすんだ。
 四時間目がはじまる。哲郎はあらわれない。土曜日だから、授業はこれが最後だ。哲郎の欠席は確実なものになった。それでも信也は、最後のさいごまで、哲郎がはいってくるのではないかと、教室の入り口のほうになんども目をやらないではいられなかった。
 おそれと、期待が半分ずつだった。

 その夜も、信也はおぼろげではあったけれど、ふたたび空を飛ぶ夢を見た。
 真上から見おろす街なみや、遠くの山の青いつらなりや、かすかに星ぼしがまたたくあい色の空や、からだ全体で感じ、耳もとでささやくゆるやかな風が、日を追ってはっきりしていくような気がした。


                    9

 つぎの週の、月曜日。
 登校して、朝礼のために校庭にならんだとき、信也は哲郎のことを考えてはいなかった。
 友だちがレンタル・ビデオで見たアニメ映画の話をするのを聞きながら、学校までずっと歩いてきたのだった。家を出るまでは、哲郎のことを考えていた。よくおぼえてはいなかったけれど、空を飛ぶ夢も、ひょっとしたら見たかもしれなかった。でも、そのときはまだじぶんが見てない、見なければ一生のあいだ後悔しそうなほどおもしろいアニメのことで頭がいっぱいだった。
 だから、朝礼がおわって教室にはいったとき、めずらしく哲郎の席が朝からふさがっていることをふしぎとも思わなかったし、すわっているのがだれであるかにも気がつかなかった。
 ランドセルをおろして、信也は自分の席についた。
 哲郎の席にすわっている男の子は、うつむいて本を読んでいた。
 横顔が見えた。
 ――哲郎だった。
 信也は心臓が口からとびでるほどどきっとした。
 とっさに、ランドセルのなかみをまさぐるふりをして、目をふせた。
 でも、哲郎は本から顔をあげたりはしなかった。本いがいのなにも、哲郎は見てはいなかった。
 チャイムがなり、先生がはいってきた。
 授業がはじまる。
 信也はどぎまぎして、ろくに先生の話を聞いていなかった。ときどきちらりと、哲郎をぬすみ見た。哲郎の目は教科書とノートと黒板を行き来するだけだった。その手ににぎられたえんぴつが、さらさらとノートの上を動いていく。
 休み時間。そして、また授業。哲郎は席を立たず、先生に指されたとき以外はなにもしゃべらず、そこにすわりつづけていた。
 休み時間。授業。休み時間。授業。そして、給食。
 大好きな黒パンが出たが、信也はちっともうれしくなかった。
 哲郎は信也のほうをふりかえろうともしない。
 ふたたび、授業がはじまる。
 いっそのこと、さっさと哲郎がふりかえってこっちをにらんだり、休み時間に近づいてきて声をかけたりしたほうが、うんと気が楽だと、信也は思った。朝からずっと、このあいだのことでのうしろめたさや、哲郎になにをどう話したらよいかという不安を感じたままなのだ。
 壁にかかった時計の針の動きが、いつもよりのろいような気がした。
 最後の休み時間。哲郎はやはり、近づいてきたりしなかった。トイレへ行ったのか、しばらく姿を消したと思うと、チャイムがなる寸前に教室へもどってきた。うつむきかげんに、なにか考えごとをしているかのような表情で歩いてきて、自分の席につく。哲郎のほうには目もくれなかった。
 信也はずぶぬれの犬のような、みじめな気持ちになった。
 おねがい、たとえ怒るのでもいい。なにか、話しかけて。信也はそう思うようにすらなった。

わが手は翼、われは鳥


弾 射音
連載小説
この小説はフィクションです。

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2003/6/1

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