第3回


                     5

「すわれよ」
 信也は応接間に通された。哲郎はランドセルをソファに投げ出し、その横にすわりこんだ。
 信也はランドセルをソファの下に置き、哲郎の正面におずおずとすわった。
 高級そうなマンションだった。
 ドアがひらいて、哲郎のおかあさんがトレイにオレンジジュースのはいったグラスをふたつとケーキをふたつのせてはいってくる。にこにこしたままそれを信也と哲郎の前に置く。ゆっくりしてってね。そう言って、哲郎のおかあさんは出ていった。
「ほんとにゆっくりしてっていいぞ」
 哲郎が言った。オレンジジュースのストローをくわえ、いっきに半分飲んでしまう。
 なにも言うことができなくて、信也はオレンジジュースを少し飲み、ケーキを少しかじった。哲郎はふんぞりかえってケーキをほおばっている。
 どうして相沢くんはきゅうにぼくを家に招いてくれたんだろう? 信也は哲郎の考えていることをおしはかりかねた。信也を見る目は、このあいだとおなじように、からかっているみたいだ。パイロットになりたいという作文のことで、まだからかい足りないのだろうか。それとも、すなおに友だちになってくれと言えないだけなのだろうか。
 しかし、信也自身、哲郎とはちがう世界の人間だという気持ちがしてならないのだった。こんな高級なマンションにつれてこられれば、なおさらだった。
 哲郎が、からになったグラスをテーブルに置いた。
「子分にしてやる」
 そう言った。
 はっきりとした声で。
「え?」
「だから、おれの子分にしてやるってば」
 不敵な笑みを顔にうかべて、哲郎はくりかえした。
「……どういうこと?」
「おれの子分になったら、空を飛ぶ方法を教えてやるぜ」
「だから、ぼくはパイロットになって……」
 哲郎は笑った。
「けっ。ばかだな。なんど言えばわかるんだ。パイロットになったって、ほんとに空を飛ぶことなんかできやしないんだ。飛ぶのは飛行機だけだ。パイロットはそれを操縦するだけなんだ」
「でも、それが空を飛ぶってことだよ。ほかにあるの?」
「飛行機なんかにのらないで、自分の力で飛ぶんだよ」
 信也はあっけにとられた。
 ひょっとしたら、頭がおかしいんじゃないだろうか。
「おれの頭がおかしいんだと思ってるんだろう」
「そ、そんなことは……」
「いいよ、べつに。どうせわかりっこないんだ。でも、人間が自分の力だけで空を飛ぶ方法はぜったいにあるんだ。子分になったら、それを教えてやろうって言ってるんだ」
「……人間は鳥じゃないから、飛行機やヘリコプターにのらないと、空を飛べないんだよ」
「ぜったいに、そうだって言えるな」
 哲郎の声が低くなった。信也をこわい目でにらみつけている。信也は背筋がぞくっとした。
「……ほんとに、あるの?」
「あるさ。教えてやるよ。だからおれの子分になれ」
「子分になったら、なにをするの?」
「なにもしなくていい。ただ、おれといっしょに空を飛ぶだけだ。だけど、おれが命令したときは、ぜったいに空を飛ばなくちゃだめだ」
 信也はことばにつまった。
 哲郎が立ち上がった。
「おれの部屋にこいよ。合格だ」
「ちょ、ちょっと待って! まだ子分になるってきめたわけじゃ……」
「いいから、こいよ」
 哲郎はふりかえり、さっさとドアを出ていった。信也はあわてて立ち上がり、ランドセルを取って、哲郎のあとを追った。ケーキもオレンジジュースも、半分以上のこっている。
 廊下に出ると、哲郎がべつのドアをあけてはいっていくところだった。信也はそのドアのところまで行き、中をうかがった。
「はいれよ」
 部屋の中から、哲郎が背を向けたまま言う。まるで泥棒のように、信也は足音をたてないようにそっと足を踏みいれた。
 哲郎の部屋だった。信也とおなじ、小学四年生の男の子の部屋。でも、信也の部屋とはぜんぜんちがっていた。なんて殺風景なんだろうというのが、信也の第一印象だった。信也はいつもおもちゃや本を部屋じゅうにちらかして、ヘッドの上までがらくただらけになってしまい、ママにしかられてやっと足の踏み場をつくる程度にかたづけるのだが、哲郎の部屋はまったくちらかっていなかった。まるで人が住んでいないかと思えるほど、整然として、きれいにそうじされていた。
 それから、まるでおとなの人の部屋のようであることに気がついた。
 おもちゃらしいおもちゃが、まるで見あたらなかった。ゲームの機械も、ゲームのパッケージも、マンガの本も、プラモデルもない。そのかわり、壁の一面がそっくりそのまま天井までとどく本だなになっていて、ぎっしりと本がつまっていた。
 部屋のまんなかに、透明のテーブルとおりたたみのイス、大きな窓の横には、黒い大きな机。机の上にはまっ白なパソコンとペン立てとライト。カーペットの上も、まるでチリひとつ落ちていないようにきれいだった。ベッドも、まるでデパートにならんでいる展示品のように、きれいにシーツがかけてある。
 かざり棚には、およそこどもらしくない置物がぽつんぽつんとならんでいるだけ。
 そして信也は、部屋の中があまりに整然としているのは、物があまりないからではなく、部屋が哲郎の部屋の四倍も五倍もひろいからだということに気がついた。
「すわれよ」
 哲郎が部屋のまんなかのおりたたみイスを指さして言った。
 信也はドアの横にランドセルを置いて、なるべく部屋の中をきょろきょろしないように気をつけながらイスに近づき、浅く腰をおろした。
 でも、目はどうしても大きな本だなにいってしまうのだった。
 机の前に腰かけながら、それに気づいた哲郎が言った。
「すごいだろ」
「うん。図書館みたい」
 哲郎は笑った。
「子分になるなら、好きな本を貸してやるぜ」
「ほんと?」
 信也は思わず目をかがやかせて哲郎を見た。
「うそはきらいさ」
「ちょっと見せてね」
 信也は立ち上がり、本棚に近づいた。
 大きな本は下のほうに、小さな本は上のほうに、きちんとならべられている。本が二列にならんでいるところも、倒れているところもなかった。
 しかし――。
 学習図鑑や、児童文学全集もたしかにあった。でも、それらは、すみっこのほうにかためてあって、たな全体からすれば、ほんの一部分なのだった。
 本のほとんどは、こども向けのものではなかった。おとなが読むような、ふつうの本だった。
 背表紙のタイトルを見て、もっとびっくりした。
 催眠術、瞑想、神秘、魔術、ヨガ、心霊術――。
 信也は目をみはり、それから少しこわくなった。
「どうした?」
 超能力とか魔術とか幽霊のマンガは、数え切れないほどある。雑誌にのっている三分の一が、そういった話のものであることはたしかだ。信也もそういうマンガはきらいではない。
 だけど、これはマンガじゃない。どうやら、まじめにそのことが書いてある、おとなの本なのだ。きっと、魔術のやり方が、ちゃんとそのまま書いてあるのだ。
 信也は本だなからあとずさりした。
「あ、相沢くん、こんな本ばかり読むの?」
「なんだよ、気味が悪そうな顔して」
「だって――」
 哲郎はニヤニヤ笑っている。信也がこわがっているのを楽しんでいるかのようだ。
 クラスのほかの子にはこのことを言わないでおこう。信也は思った。相沢くんがこんな本をこんなにたくさん持っていることを話したら、みんな、ますます相沢くんを避けるようになってしまう。
 いや、相沢くんの家に招かれたことじたい、言わないほうがいいかもしれない。
「ジェ、ジェット機とかの本はないの?」
 信也はかすれる声で言った。
「ばか。なんべん言ったらわかるんだよ。おれは飛行機なんかには興味ないんだ」
 信也はけっきょくどの本も手に取らず、イスにもどって腰をおろした。
「――相沢くんは、魔術をやってるの?」
「やったこともあるよ」
 哲郎は平然とした顔でこたえた。
「ひょっとしたら――悪魔を呼び出せるの?」
「ははは。そんなこと、できねえよ。おまえ、おれが悪魔の手下だと思ったのか」
 信也はあわてて首を横に振った。
「魔術や超能力が好きなわけじゃないんだ」
 哲郎は本だなから一冊、手に取り、そのページをぺらぺらめくりながら言った。
「ぜんぶ、空を飛ぶ方法を調べるために買ったんだ」
「魔術で空が飛べるの?」
「そうじゃない――だけど、似たようなもんかな」
 哲郎は本をたなにもどし、信也に歩み寄った。
「子分だから、教えてやる。だれにもしゃべるなよ」
 信也はうなずいた。
「ぜったいだぞ。約束するな?」
 哲郎が、こわい目で信也をにらみつける。信也はどきどきしながら、もう一度うなずいた。


 
わが手は翼、われは鳥


弾 射音
連載小説
この小説はフィクションです。

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2003/4/13

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