第1回


                      1

「パイロットになりたいだって?」
 からかうような声が、頭のうしろでした。
 信也はとっさにふりかえった。
「吉田、おまえ、パイロットになりたいだって?」
 声の主はもういちど言った。信也を見おろす目が、くちびるが、あざけるように笑っている。
 おなじクラスの相沢哲郎だった。
 哲郎はかすかに青ざめた顔でにやにや笑いながら、信也をじっと見おろしている。
「相沢くん――」
「空を飛びたいんだって?」
 哲郎は信也の言葉を無視してつづけた。
「う、うん――」
 文集にのった、信也の作文を読んだのにちがいない。先生がみんなに文集をくばった先週の金曜日は、哲郎はたしか学校を休んだはずだが、先生が家にとどけるか、おかあさんが取りにきたかして、手にいれたのだろう。哲郎は土曜日も月曜日も休んだ。火曜日のきょう、やっと出席したのだった。
 顔色はあまりよくない。
「そんなに空を飛びたいのか」
 そう言いながら、哲郎はあいているとなりのイスにこしかけた。
 信也は、夏休みに両親につれられて北海道へ旅行にいったときのことを、作文にしたのだった。担任の伊藤先生が推せんして、学校の文集にのったのだ。信也は生まれてはじめて飛行機にのった感動を文章にした。その描写がたくみだと、先生はほめてくれた。空を飛んだ感動は、一生忘れないだろう。いつも空を飛べるパイロットに、ぼくは思わずあこがれてしまった。
「パイロットになれば、空を飛べるのか?」
 哲郎は、にやにや笑いのまま言った。
「え? だって、パイロットは飛行機を操縦して――」
 質問の意味がよくわからなくて、しどろもどろになってしまった信也に、哲郎がぐっと顔をちかづける。
「飛行機を操縦したら、空を飛んだことになるのか?」
 信也はなんとこたえていいかわからなかった。どうしてこんなことをきくんだろう? パイロットが空を飛ばなかったら、いったいだれが空を飛ぶというのだ?
 とつぜん、哲郎は顔を上に向けてあははははと大声で笑いはじめた。
 びっくりして、信也はからだをうしろにそらした。クラスのみんなが、信也とまったくおなじびっくりした顔を、いっせいにこちらへむけている。
 哲郎の笑い声ははげしいせきにかわった。
 上を向くのをやめて、イスにこしかけたまま上半身をふたつに折り、なんども、なんども、ひどくせきこむ。まるで洞くつの底からひびくおそろしいけものの声のようなふとい音が、哲郎ののどからでた。
「だ、だいじょうぶ?」
 信也はかがみこんで、せきこみつづける哲郎の顔をのぞきこんだ。
 いつもは青白い顔が、真っ赤になっていた。
 せきはなかなかおさまらなかった。信也は哲郎が血をはいてしまうのではないかと心配になった。しかし、哲郎はせきこみながらもふたたび笑いはじめ、からだを起こして、ちょっとこわい目で信也を見すえた。
「おまえが泣きそうな顔するからだよ。ああ死ぬかと思った。あんまり笑わせるなよな」
 そう言い捨てて、哲郎はさっとたちあがると、教室の外へでていってしまった。
 信也はぽかんとして、廊下へ消えていくそのうしろ姿をながめながら、哲郎があんまり笑わせるなといったのは、返事に困って泣きそうな顔になったことなのか、それとも空を飛ぶ夢をパイロットになることでかなえたいと思っていることなのか、いったいどっちなんだろうと、ぼんやり考えていた。


わが手は翼、われは鳥


弾 射音
連載小説
この小説はフィクションです。

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2003/3/23

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