第5回


 翌日の朝、学校へ向かう途中で由美は悦子に会った。
「藤崎さんのこと困っちゃった」
 悦子は昨日の帰り際のことをこぼした。
「本当にしゃべらないんだものねえ」
 悦子はちょっとだけ大人びた溜息をついた。
「私、小山さんも本当は藤崎さんみたいな人なんだと思ってたの。でも違ったんだね。本が好きなんて知らなかったし。『若草物語』のこと凄く良く知っているんだもの。驚いちゃった」
 悦子は微笑んだ。
「私ね、初めて読んだ時すごく気に入っちゃってさあ、友達に勧めたんだけれどあんまりみんな乗ってくれないの。ちょっと悲しかった。それでそれっきりになっちゃったんだけれど、話が合う人に会えて嬉しかった」
 悦子は教室でいつもしっかり者ぶりを発揮している時とはちょっと違って夢見る少女のように目をキラキラさせていた。
「続編が出ているって聞いて、本屋を探しているんだけれど、ないのよね。図書室にもないし」
「文庫なの」
 由美が小さな声で言った。
「文庫本でしか出てないの。あまり置いてないかもしれない」
「なんだ、そうなの。文庫なのかあ。文庫コーナーってまだ行ったことないんだ。ちょっと大人の読み物って気がして」
「あの、良かったら貸すけれど」
「え?良いの?」
 悦子の声は急に弾んだ。
「嬉しい。ありがとう」


 それが悦子との馴れ初めだったのかもしれない。本を貸したことから、悦子と由美の二人だけのつきあいは始まった。貸した『続・若草物語』を悦子は数日で読んできてすぐに感想をとうとうと語り始めた。そして、次に第三と第四の『若草物語』を貸した。
 やがて、本で埋もれた由美の部屋に悦子が遊びに来るようになるまでそんなに時間はかからなかった。
 グループでの課題作成でも、悦子は由美の意見を重要視し、グループの他の仲間も由美の博識に一目置いてそれに異を唱える者はいなかった。
 無事完成した『若草物語』の続編を劇風に発表し、先生から誉められて課題は終わった。だが、由美が最初に思ったことは外れて、由美はグループにとどまったのだった。

 放課後、由美は悦子の家に遊びに行き、二人で漫画を読んでリラックスしていた時だった。雑誌に欲しかった本の広告が出ているのを見て、由美は悦子に頼んだ。
「ねえ、ちょっとメモ貸してくれない」
「うん、どうぞ。机の上に何か紙があると思うから」
 悦子の机の上は、思ったより散らかっていて、学校での悦子の優等生像を少々覆すものだったが、今の由美はそんなことは意に介さなかった。悦子が見かけよりは優しく、ちょっとおっちょこちょいな面もあることが今の由美には良くわかっていた。
 机の上に散らばるノートや教科書をのけていると、由美の目にふとミッキーマウスの絵が目に入った。思わず由美はそれを手に取った。便箋だった。あの便箋。「由美ちゃんへ」で始まった「お友達になりましょう」と呼びかけたあの便箋。
「悦ちゃん」
 由美は便箋を手に持ったまま悦子を振り返った。悦子は便箋を目にして言った。
「ああ、それ使って良いよ」
 悦子だったのだ。いや、悦子とは字が違う。でも字なんてわざと変えて書くことが出来る。悦子は全然目立たない自分のことをずっと前から見ていてくれたのだろうか。それで手紙を書いてくれたのだろうか。課題の時に誘ってくれたのも、最初からそのつもりだったのかもしれない。
 由美の目にうっすらと涙が湧いた。悦子は知らん顔をしてベッドの上に寝そべって漫画を読んでいる。この件については知らん顔を決め込んでいるようだ。全てがこの便箋から始まっていたなんて。由美は途中で破けないようにそっと便箋を一枚はがした。


 夏休みを満喫した元気な顔を揃えて、新学期は楽しくあけた。由美の夏休みは、悦子やグループの仲間と何度となく一緒に遊んだ楽しいものだった。
 宮川先生は、一通り新学期の挨拶をした後に、生徒たちの夏休みの話を聞いた。最後に何かを取り出して言った。
「一学期の終わりに引っ越した藤崎から、手紙が来たので後ろに貼っておく。元気でやっているらしい。誰か返事を書いてあげると良いな」
 始業式とホームルームだけの新学期初日は早く終わった。
 先生から手紙を受け取った長谷川級長は手紙を後ろの掲示板に貼っていた。
 帰り支度を終わった由美は、その手紙の前を通りかかり思わず足を止めた。
 ミッキーマウスの便箋!
 あの手紙と同じ、悦子の持っているのと同じミッキーマウスの便箋だった。由美は顔を近づけて手紙を読んだ。
「クラスの皆さんへ」
 手紙はそう始まっていた。かくかくとした可愛い文字。「由美ちゃんへ」と呼びかけたあの手紙と同じ。
「クラスの皆さんへ。お元気ですか。わたしが引っ越した大阪は、とても暑いです」
 藤崎静香。結局ベスのセリフが極端に少なくなってしまった課題を成し遂げた後、グループに合流した由美とは違って、静香は元のままひとりぼっちに戻ってしまった。由美も悦子も敢えて静香を引き留めようともしなかった。静香はいつも一人でひっそりと教室の片隅に座っていた。勉強でも運動でも目立つことはなく、いるのかいないのかわからない少女だった。
 そんな静香が初めてクラスのみんなの視線を浴びたのは、皮肉にも静香の引っ越しを先生が告げた時だった。父の仕事の都合で大阪に引っ越すと先生は言った。静香は先生から挨拶を促されて、小さな声で「さようなら」と言っただけだった。そして、それが静香を見た最後だった。
 今その静香が書いた手紙は、やはり誰にも読まれることなく、ひっそりと掲示板に貼られている。
「大阪弁は慣れなくて苦労します」
 手紙は当たり障りのない挨拶に終始していた。
 「由美ちゃんへ」あの手紙の文面が由美の頭の中で舞った。何度も何度も読んだ手紙だった。すっかり文章を暗記してしまった。図書室で、あの人が書いたのか、この人が書いたのか、と思って探りを入れた日々が思い出される。クラス一おとなしくて、自分一人の世界に生きているようにさえ見えた静香が、まさかそんな気持ちを発するなんて思ってもみなかった。静香も、やっぱり淋しかったのだろうか。
「由美ちゃん。何してるの、帰ろうよ」
 悦子が教室の出口に立って呼びかけた。
「うん、すぐ行く」
 静香の手紙はたった一枚だけだった。
「では、みなさんお元気で」
 そうして終わった短い手紙。いかにも静香らしい言葉少なな手紙だった。
 由美は思わずミッキーマウスの絵柄に手を触れた。
「ごめんね」
「由美ちゃん」
 悦子が呼んでいる。
「は〜い」
 由美はカバンを持って小走りに教室を出ていった。




                      
ミッキーマウスの手紙


桐生 梓
連載小説
この小説はフィクションです。

(C) 2004 Paonyan. All rights reserved



2004/10/9

Ads by TOK2