第6回


「アンソニー、帰ったわよ。大丈夫だった?」
 エレンの声が聞こえる。わたしは思わずかたわらのエレンと顔を見あわせた。わたし自身の声も聞こえてきた。なんだか変な気分だ。
 と思ったら、いきなりキッチンの明かりがともった。エレンとわたしはとっさにテーブルの下に隠れた。

 もうひとりのエレンがはいってきた。大きな紙袋をテーブルの上に置く。彼女が冷蔵庫のほうへ歩いていったすきに、わたしたちは身を屈めたままテーブルをまわりこみ、廊下へ出た。
 もうひとりのわたしに鉢あわせしそうになった。
 あわてて壁のかげに隠れる。めまいがしそうだ。ほかならぬわたし自身が、なにやらしゃべり、ネクタイをほどきながら歩いてくるのだ。どきどきした。いつでも玄関からとびだせるように待機したが、彼はそのままキッチンへはいっていった。ほっと胸をなで下ろした。
「アンソニー、あなたの好きなピザを買ってきたわよ。ディナーってわけにいかないけど、それでがまんしてね」
 この世界のエレンが言っている。ふとうしろで楽しげなくすくす笑いが聞こえた。
 ケイトだった。わたしたちのまねをして、身をひそめるふりをしている。
「ケイト、遊びじゃないんだ。ほんとのパパとママのところへいきなさい」
 わたしは小声で言った。
「パパ。ママ」
 ケイトはわたしたちを指さしてはしゃぐ。
「しっ! 静かにして」
「パパもママもどうしてそんなかっこしてるの?」
「おねがい!」
 エレンは叫びそうになった。
「だれかいるの?」
 もうひとりのエレンの声だ。
「あなた、変な声が聞こえなかった?」
「そうか? なにも聞こえなかったけど」
 これはもうひとりのわたしだ。のんきなものだ。ほっとすると同時に、情けない気持になった。

 アンソニーが走ってきた。手に車のキーをにぎっている。彼は目で玄関のドアを示した。ロックをはずし、そっとあけて、わたしたちを外へだした。
 キーを受け取りながら車へ走っていく。エレンとわたしは乗りこむと、派手な音をたてないようにドアを閉めた。
 エンジンをスタートさせる。
 うしろで声がした。エレンとわたしは同時にふりかえった。
 ケイトがリアシートではしゃいでいる。
「ケイト!」
「いい子だからおりなさい!」
 思わず叫んだ。だがペンギンの恰好をしたままのケイトはシートの上で飛び跳ねるばかりで、ちっともいうことを聞こうとしない。わたしは窓の外のアンソニーに顔を向けた。
「アンソニー、ケイトを外へだしてくれ」
 アンソニーがうしろのドアをあけて乗りこんだ。はしゃぐケイトを両手で抱きとめる。
「ケイト、おにいちゃんといっしょにくるんだ」
「やだー」
 ケイトはアンソニーの腕のなかで暴れる。アンソニーは彼女に蹴られながらわたしたちのほうを見た。
「ぼくたちのことは気にしないで。パパ、もっとふかさなきゃ。さあはやく!」
 わたしはひやひやしながらアクセルを踏みこんだ。電気自動車だから静かだが、それでも音は高まる。足に力を加えながら、わたしは玄関のほうをじっと注視していた。
「もっと強く!」
 いやがるケイトを押さえつけながらアンソニーが叫んだ。わたしはさらにアクセルを踏みこんだ。目の前がぼやけはじめる。わたしはエレンの手をつかんだ。彼女はぎゅっとにぎりかえしてくる。
「あ、ふたりともからだが透けはじめたよ!」
 アンソニーの声があがる。わたしたちは彼をふりかえった。
 ケイトのからだが、暴れながらアンソニーの腕のなかでぼやけはじめている。
「ケイト!」
 エレンが悲鳴をあげた。
「パパどうしよう! ケイトが行っちゃう!」
「しっかりつかまえてるんだ!」
「そんなこと言ったって!」

 目の前がますますぼやけはじめて、かすかになにかべつの風景がだぶって見えはじめた。その手前でケイトの姿がゆらいでいる。思わずエレンの手をにぎる手に力が加わったが、なんだか彼女の手の感触までたよりないものになっていた。
「あなた、アクセルをゆるめて!」
 わたしはアクセルから足をはなした。エンジン音が低くなる。ケイトのからだがはっきりとしたものにもどりはじめた。
「どうしたらいいの!」
 エレンはほとんど泣きそうだ。
「慎重にやろう。ケイト、たのむからアンソニーといっしょに外へ出ててくれ!」
「いやいや!」
 アンソニーがドアをあけてケイトをむりやりひっぱりだした。そのまま車をはなれる。
「ケイト、うちんなかにもどるんだ!」
 アンソニーはそう言いながらケイトを地面におろした。ケイトはそのまま芝生に尻もちをついてしまった。
 アンソニーがもどってくる。わたしはふたたびアクセルをうんと踏みこんだ。
 この世界の息子に目を向ける。ウィンドウのすぐむこうに立つ彼の姿に、どこかの室内のような風景がだぶりはじめた。
 目の前がしだいにぼやけて、ゆらゆら揺れはじめる。わたしはウィンドウを下げた。

「お別れだね」
 アンソニーが手をさしだした。わたしはそれをぐいとにぎりしめた。
「パパとママの言うことをよく聞くんだぞ」
 わたしは彼の目を見つめ、言った。
「あなたたちの息子と娘を大事にしてあげてね」
 アンソニーがこたえる。
 エレンが手を彼にさしのべた。彼はそれを両手でにぎった。
「さあ、おまえもはなれていなさい」
 アンソニーが数歩はなれる。わたしはアクセルをいっぱいまで踏みこんだ。風景はますますゆらめいていく。
 物音に、はっとする。
 玄関のドアがひらいて、もうひとりのわたしが出てきた。
「アンソニー、車にいたずらするんじゃない!」
 エレンとわたしはとっさに頭を下げて身を隠した。アンソニーがあわてて運転席側のドアをあけ、車のなかに飛びこんでくる。わたしはエレンのほうへ身を移した。アンソニーはハンドルをつかみ、足をめいっぱい伸ばしてアクセルを踏んだ。
 彼はわたしたちを見おろした。
「もうほとんど見えないや!」
「アンソニー、やめろったら!」
 もうひとりのわたしが駆けてくる足音がする。
 エンジン音が遠ざかりはじめた。アンソニーのからだも車のなかも、もう輪郭しか見えない。
「さよなら!」
 アンソニーが叫ぶ。
「さよなら! 元気でな!」
「いい子でね! ケイトのことをたのむわ!」
 すうっ、とエンジン音がしぼんでいった。
 一瞬、目の前がまっ白になった。つぎに見えてきたのは、わが家のリヴィングだった。

 
リアル・モンロー
  トゥルー・ディーン



弾 射音
連載小説
この小説はフィクションです。

(C) 2003 Dan Shannon. All rights reserved



2003/2/10

Ads by TOK2