第9回

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 ドクター・マッコイは隔壁に駆け寄り、少女がドアのひとつにはいっていくのを呆然と見まもった。それから当直についているふたりの若者をふりかえった。
「おい」
 彼は怒鳴った。ホーグともうひとりの若者が驚いて彼に目を向けた。
「どういうことか説明してもらおう」
「ドクター、どうなさいまし――」
「とぼけるんじゃない! わたしの気が変になったのでなければ、いまたしかに女の子がひとり、このくそいまいましい壁のむこうにはいっていったぞ。防疫スーツもなしに、むきだしの肌のままでだ。いったいどういうことだ? きみたちはなんと説明するつもりだ。それとも、わたしがまぼろしを見たとでも主張するつもりか」
「ドクター・マッコイ」ホーグが困惑した表情になり、両手をひろげた。しどろもどろだった。「ドクター・キニーから聞いていらっしゃるものとばかり――つまり、その、彼が許可しているんでして」
「彼はその理由を、わたしに納得できるように説明できるのかね?」
「は、はい。いえ、その、たぶん」
「いますぐ彼をここに呼びたまえ」
「しかし、睡眠をとっ――」
「いいから呼びたまえ! 寝ていたらたたき起こせ!」
 ホーグがあわててキニーの個室を呼びだした。レナードは手近のモニタに飛びつき、少女がはいっていった部屋のカメラにアクセスした。
 少女はベッドに横たわる患者のひとりに屈みこみ、その手をとって話しかけていた。小声でなにを話しているのかはわからなかった。その年ごろの女の子らしく、少女のからだはいきいきと動きつづけていた。原因不明の病に倒れた患者たちのあいだで。
 未知の病原体が充満する部屋で。
 少女の声には、ときおり澄んだ笑い声が混じった。
 レナードは恐ろしくなって、マイクを通じて少女に話しかけることができなかった。


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 キニーが憔悴しきった顔であらわれた。防疫服は着ていたが、ヘルメットは腕にかかえている。目の下の隈は肥大したままだった。数時間眠っただけではほとんど休息にはならなかっただろう。だが、マッコイには彼の身体的状況を考慮する心の余裕などまったくなかった。
「ドクター」キニーはマッコイの姿を認めると、だるそうに言った。「なにか新事実でも?」
「わたしにとってはね」
 マッコイは声がとげとげしくなるのをとうしても抑えることができなかった。
「モニタを見たまえ。いや、そっちじゃない。この、病室を映し出しているやつだ。そう。きみになにが見える? わたしとおなじものが見えるかね? わたしにはあれがどうしても生身の少女のように見えてならない」
 キニーの顔から眠気がいっきにふきとんだ。
「あ、あの、これは――」
「五秒でわたしが納得できる釈明を準備したまえ。だが、話の内容によっては医師としての背任行為とみなすぞ。ではまず質問からはいろう。あの少女は発病しているのか?」
「い、いえ。健康体です」
「彼女はアンドロイドか?」
「違います」キニーの額には大粒の汗がふきだしている。
「エイリアンか、エイリアンとの混血で、発病の可能性がないと判断したのかね?」
「――いいえ、彼女は純粋な地球人です」「では、彼女は直接患者と接することによって発病する可能性があるんだね」
「いいえ――はい、その可能性はじゅうぶんあります」
「ミスター・ホーグによれば、きみが許可しているそうだが、それは事実か?」
「――はい」
「ではいますぐ彼女をここへ呼びもどしたまえ!」
 キニーはあわててコンソールに駆け寄った。
「ミドリ――ミドリ!」
 ベッドの上の患者との会話を中断させられた少女は、怪訝そうにカメラを見上げた。
「はい、ドクター」
 マッコイは少女をつぶさに観察した。ミドリか。とすると、この少女はスールーとおなじ東洋人らしい。西洋人にはない可愛らしさと気品が、その表情にどことなくあらわれている。東洋人の年齢はいまひとつ判断しづらいところがあるが、見た感じでは十八にはなっていないだろう。ひょっとしたら、まだローティーンかもしれない。ふりかえってカメラを見上げた顔は無邪気な微笑みの名残をただよわせていた。
 なによりも、彼女は生き生きとしていた。
 原因不明の重病に冒された患者たちとおなじ空気を吸いながら。
 発病しているわけでもないのに、まったくなんでもないことのように。
「ミドリ。きみに紹介したい人がいるんだ。すぐに出てきてくれないか」
「いますぐじゃないと駄目なんですか?」
 少女は少し不満そうだったが、心からいやがっているわけでもなさそうだった。
「いま、トマトのフライの作り方を教えてもらってたのよ」
「いいから、出ておいで」
「――はい、ドクター」

奇蹟(ミラクル)のM


弾射音
連載小説
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2002/6/30

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