第9回


 事情がのみこめると、佳子はいきなり顔を真っ赤にした。
 土曜日。あたしたち五人は朝っぱらから佳子の家におしかけ、彼女に説明したのだった。
 けっきょく、イカスミは佳子にキスすることをOKした。へりろち語のことはなかなか信じなかったし、最後まで半信半疑だったけど、あたしたちは彼に詰めよって、だれに責任があると思ってんの、とか、そんなひどいショックを与えるなんて、あんたはいったいどんなふうに佳子をふったのよ、とか言って、むりやりうんと言わせたのだった。
 あす午前十一時に、学校のちかくのどんぐり広場で待て。あたしたちはイカスミにそう念を押して、きのうはやっと家に帰ったのだった。
 で。きょう。本日。土曜日。
 あいかわらずパジャマ姿のままベッドの上で膝をかかえている佳子の部屋になだれこんで、ケンケンゴウゴウしながらへりろち語で佳子にイカスミがキスをOKしたことを説明したわけ。
 自分からキスしてほしいと言いだしたくせに、佳子のやつ、いざとなるとしりごみしはじめた。
「ぢてと――ひぜきすう」
 だって、恥ずかしい――そう言っているのだ。なにが、恥ずかしい、だ。きのうさおりの口からキスという言葉を聞いたあたしたちのほうが、よっぽど恥ずかしかったじゃないか。
「ぐちゃぐちゃ言ってんじゃないよ」
 はるかが怖い顔で佳子に言った。はるかはおととい、わけがわからないまま佳子にさんざん笑われたのをまだ根にもっているのか、へりろち語を使おうとしないでずっとふつうの言葉でまくしたてている。
「とにかく着替えなさいよ。もうすぐイカスミがどんぐり広場にやってくるんだから。さあはやく」
 さおりがへりろち語に通訳して佳子に説明した。だが佳子はますますもじもじして、ベッドからはなれようとしない。はるかはいらいらして、ぐいと佳子の腕をつかみ、力ずくで立ちあがらせようとした。
「うとと」
 佳子が声をあげる。はるかの手を振りほどいて、にらみかえした。
「にぬせあはら」
 そう言った。
「へ? なんだって?」
「なにすんのよって言ったのよ」
 今度はあたしが通訳した。
 佳子はすねた顔してふたたびベッドの上で膝をかかえた。はるかが詰めよる。佳子は彼女をキッとにらみかえして言った。
「――ちんこ」
「ち、ちんこぉ?」
 はるかは髪を逆立てて阿波踊りをしそうになった。
「け、けがれなき乙女に向かって、ちんことはなにごとだ!」
 彼女は顔を真っ赤にして佳子につかみかかろうとした。あたしはとっさに彼女をはがいじめにした。
「ちがうってば! 佳子はへりろち語しゃべってんだから。ほんとはちがう言葉なのよ」
「あ、そうか」
「そうよ。悪口言ってるわけじゃないのよ」
「そうかそうか。ごめんごめん」
 あたしははるかをはなした。
「で、なんて言ったんだろう。『ちんこ』だから、た、わ、け――なんだ、『たわけ』って言ったのか。わはは――たわけ? やっぱ罵倒してんじゃないのよお!」
 はるかは顔をどす黒くして佳子にとびかかった。
「いいかげんにせんか」
 さおりがはるかを押さえこんだ。
「いいかげんにせんと、ちちけだ」
「ぎくっ」
 はるかはとっさにトレーナーの上から胸を押さえ、さおりをふりかえった。
「――見たな。更衣室で見やがったな」
「なにをわけのわからんことを言っとるんだ。あたしはただ、へりろち語で『たたくぞ』と言っただけだ」
「だったらなんできゅうにそこだけへりろち語を使うのよお! まぎらわしいっ!」
「にげろにげろ」
 あたしたち五人はとっさに佳子に注目した。
「にげろにげろにげろ」
 そう言ったのは佳子だった。
 両手をふりまわしてそう叫んでいる。
 あたしたちはハトがスカッド・ミサイルをくらったみたいに目をまんまるにした。
「なんですって?」
「逃げろだとさ」
「ふつうの日本語だ」
「佳子、あんた、へりろち語なおっちゃったの?」
「だけど、いったいなにから逃げろってのよ」
「ちがうな」
 さおりは腰に手をあて、おちついた声で言った。
「ぜんぜんなおっとらん」
「だって、いまたしかに逃げろって……」
「だから、『にげろ』というのはへりろち語で『なぐれ』という意味だ。はるかをなぐれとあたしをけしかけてるんだろう」
「ぐわ」
「ふ、深い。おもいっきり奥が深い」
「あたし、一生マスターできそうにないわ」
「とにかくう! もう時間がないんだからあ」
 秋代がいらいらしたようにからだをくねらせてぶりぶりの声をあげた。
「そうよそうよ。あたしたちはこいつのために輝ける青春の貴重な一ページを犠牲にしてるんだから。とにかく佳子、立って、着替えて」
 美幸の声はもっといらいらしている。おおかた寝坊して、満足に朝食をとれなかったんだろう。
 さおりがみんなの言葉を通訳した。あたしたちに日本語とへりろち語の両方でまくしたてられて佳子はやっとあきらめたのか、しぶしぶベッドをはなれて着替えはじめた。

「らしけんくーかくれー、ほうほうまー、ほうほうまー」
 佳子をとりかこんでどんぐり広場まで歩いていくあいだ、さおりはのんびりとへりろち語で「与作」をうたっている。調子にのった美幸は「アタックNo.1」をうたいはじめた。
「けれすけてちてとーきにすけてちてとーさーなはにきどんほうくには」
 がんがん頭痛がしてきた。
 こいつら、ひょっとしたら夜のうちにカラオケで練習したんじゃないだろうな。
 どんぐり広場に到着。小学生たちがおおぜいいて、わいわい遊んでいたが、イカスミの姿はないようだ。身長が百八十五センチもあるのだから、いたらイッパツで目につくのだが。
 腕時計を見る。十一時をすこしまわっていた。あたしたちはしばらくあたりをきょろきょろしながら、彼があらわれるのを待った。
「来ないじゃん」
「とんずらこいたかな」
「裏切られた!」
 と、まわりの小学生たちに負けないほどの大騒ぎになりそうになったとき、
「いかすみけあ……」
 佳子が広場のはずれのほうに目をやって、きゅうに顔を真っ赤にした。
 あたしたち五人はそのほうを見た。
 銀杏並木のあいだから、イカスミの巨体がおそるおそる顔をのぞかせていた。
「なんだ、いたじゃん」
「ゆぢー。いちすきおれ」
「こっちこっち。はやくはやく」
「こらイカスミ。さっさとせんかい」
 イカスミは並木のあいだからでてきて、のそのそとこっちへ歩いてきた。
「ど、どうも」
 彼は照れくさそうにポリポリ頭をかきながらそう言った。
「あ、どうも」
「どうも」
「どうも」
「どうも」
「よお、イカスミ」
「青島だ! イカスミじゃないっ」
 イカスミはむっとなったが、佳子に気づくとすぐにまた照れたような顔にもどった。
 その佳子は、顔から湯気がでそうなほどまっかっかになり、あたしの背後にかくれようとした。
「ほんとにするのか?」
 イカスミがおもいっきり困った様子で言った。 

へりろち


弾射音
連載小説
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2002/4/7

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