第6回


「えーっ」
「やだー」
「うそー」
「たたりじゃ。バベルの塔のたたりじゃ」
 というのが、秋代、美幸、はるか、さおりのそれぞれの反応だった。
 ――ったく。
 アニキが佳子の言葉の謎を解明した翌日。四人がまたあたしの教室に集まっている。あたしは彼女たちに佳子の五十音がずれてるということを説明したんだ。
 佳子はきょうも欠席。
「わはは。青島がイカスミか」
「でも、よくわかったわよねえ」
「やだあ。これから佳子と話すときは五十音表とメモ用紙と鉛筆持ってなきゃいけないわけ?」
「勝ったぞ。あたしは『七人の侍』を二十五回見た」
「しかし、なんちゅう器用な病気だ」
「中学のときにね、あたしのクラスにいろんな言葉をかたっぱしからさかさにしちゃう趣味の女の子がいてね、そいつがランチタイムをさかさに読んだときはクラスじゅう大騒ぎになったんだけどね、これはそれ以上にすごいよね。ねっ。ねっねっ」
 ほうっておくと、彼女たちのおしゃべりは際限なくつづく。あたしはみんなを制するように、声を大きくして言った。
「とにかく、あたしはもう一度佳子に会ってくるわ。なんとか彼女と意思の疎通をはかってみるつもり」
「あ、あたしも行く」
「あたしも」
「あたしも」
「身共も」
「だめ!」
 あたしは叫んだ。
「なぜ?」
「なんで?」
「どして?」
「なぜじゃ」
「あんたたちがいっしょにきたら、また収拾がつかなくなるわ」
「いいじゃない」
「ねえ」
「なんか、すっごくおもしろそう」
「おぬしだけに楽しみをひとりじめにはさせんぞ」
 もお。勝手にしろ。
 あたしはなんとか理由をつけてクラブの練習をはやめに切りあげ、佳子の家に向かった。四人は大声でわいわいがやがややりながら勝手にぞろぞろついてくる。
 玄関にでてきた佳子のママは、きのうよりもさらに憔悴しているようだ。きのうのように、すぐに佳子の部屋にあげてもらった。
 佳子はまたもやベッドの上で膝をかかえていた。
 顔をあげて、あたしたちを見る。
「むなる……」
 あたしのことだ。あたしはベッドに歩み寄り、彼女のほうへかがみこんで、やさしく話しかけた。
「らすさ」
 らすさ――すなわち、佳子のことである。
 佳子が、はっ、となり、目を大きく見ひらいた。それからすぐにその両目からぼろぼろと涙がこぼれて、彼女はあたしにがば、と抱きついて泣きはじめた。
「かーうかうかうかうかう。ゆてなひにすぎてえずち」
 うっ。すぐには頭のなかで変換できなかったが、佳子にしがみつかれながら、あたしは必死に彼女の言葉を一文字ずつ置き換えていった。

  おーいおいおいおいおい。やっと話が通じた。

 どうやら、そう言っているようだ。
 ほかの四人もちかづき、ベッドをかこんで佳子に声をかける。
「らすさ」
「らすさ」
「らすさ」
「むぜちぬ」
 佳子は泣きながら笑顔になってみんなを見まわした。
 秋代に話しかける。
「いくら」
 秋代がびっくりして顔をのけぞらせた。
「い、いくらぁ?」
 そうか。あたしは頭のなかでとっさに言葉を変換して納得した。


い く ら
↓ ↓ ↓
あ き よ

 美幸が舌なめずりをして秋代を見つめた。
「な、なんなのよ」
 秋代が思わず眉間にしわ寄せて美幸を見返す。
「い、いや、その――あたし、イクラが大好物なもんだから、つい」
「ったく、おまえは食うことしか頭にないのか」
 さすがの秋代も、いつものぶりぶり言葉を使うのをすっかり忘れている。
 ふたりが言いあっているうちに、佳子はさおりに顔を向けた。
「しかる」
「しかるだって? 拙者が叱られなきゃならんようないったいなにをしたと言うんじゃ!」
 さおりは怒っている。
 佳子はきょとんとしながら、つぎは美幸のほうを向いた。
「むよく」
 美幸はハトが機関銃をくらったような顔になった。
「む、無欲?」
「えあえあ」
 そう言って、佳子はにこにこうなずく。
「うーん。美幸が無欲か。どうも実態をあらわしてないな」
 はるかが言った。
「悪かったわね。どうせあたしは食欲のかたまりよ」
 はるかは佳子の肩をつつき、自分のほうに向かせた。
 そのはるかに、佳子は言った。
「ひれき」
「なんだ。『ひれき』か。はるかだけおもしろい言葉にならないんだな」
 さおりがそう言っている。だがはるかはむっとしたようだ。いらいらした様子で、佳子に顔をちかづけてまくしたてはじめた。
「ったくもう。イクラだとか、叱るとか、なにわけのわかんないこと言ってんのよ。なにが『ひれき』よ。冗談じゃないってば。あたしはね、はるかなの。はるかよ。はるか。わかった? は、る、か」
 自分を指さしながら、そう強調する。
 佳子は目をまるくして、はるかを指さした。
「はるか?」
「そう。はるか」
「ぎてひひひひひひ」
 いきなり、佳子がけたたましく笑いはじめた。はるかを指さしたまま、腹をかかえて、ひひひひひと大声をあげながら、そのあいまにはるかはるかと苦しそうに叫ぶ。
「なによ。なんでこいつは笑ってるのよ」
 はるかはさらにむっとなる。あたしはしばらく首をひねったが、突然その理由に気づいた。
「はるか」というのは、佳子にはべつの言葉に聞こえているのだ。それを五十音で一文字ずつ前の文字に置き換えると――


は る か
↓ ↓ ↓
の り お

「ぷっ」
 あたしも思わずふきだしてしまった。はるかがますますむっとしてあたしに詰めよったが、あたしはしどろもどろになって説明することができなかった。
 やっと、騒ぎがおさまる。佳子をかこんだみんながふつうの言葉でいろいろしゃべるので、佳子はまた言葉が通じなくなったという不安にかられたらしく、ふたたび膝をかかえておどおどした目でみんなを盗み見している。
「しかし。ほんとに美登里の言うとおりなのかな」
「単にでたらめ言ってるだけにも思える」
「それとも、あたしたちをからかっておもしろがってるとか」
「じゃ、『バレー』は『びろー』になるのか。こらっ。神聖なバレーボールをなんと心得おる!」
 またまた収拾がつかなくなりはじめた。
「わかったわかった!」
 あたしは声をはりあげた。
「じゃ、とにかく、そのへんのところをはっきり確認することにしようよ」
「どうすんのよ」
「そうねえ――秋代、そこにある雑誌とって」
 秋代は床に落ちていたファッション雑誌をとってあたしによこした。
 あたしはページをめくり、カラーグラビアをひらいた。モデルがいろんな服を着てポーズをとっている。
 あたしはそれを佳子の顔の前に持っていき、話しかけた。
「さろにぬ?」
「美登里、なんて言ったの?」
「これなに、って言ったのよ。いちいち質問しないで、自分で考えてよ」
 あたしは佳子に向きなおり、モデルが着ているセーターを指さした。
「さろにぬ?」
「そーちー」
 あたしはみんなをふりかえった。
「ね?」
「まだわからん」
「もっとつづけて」
 あたしはページをめくった。ウェディング・ドレスのページだ。
「さろにぬ?」
「えぉどぅあげ・なろせ」
 と、佳子はこたえた。
「ま、ますますわからん!」
「頭がこんがらがる!」
「もっと簡単なのでやってみてよ」
 あたしはさらにページをめくった。うしろのほうのカラーページに、料理の写真がでていた。
 あたしはサラダを盛りつけたボウルを指さした。
「さろにぬ?」
「しりぢ」
 一瞬、部屋のなかが、しん、となった。
「しりぢ――」
「サラダが、しりぢ?」
「なんか、忌まわしいような――」
「お願いだから、漢字でしゃべらないでくれ。そのままずっと、ひらがなでしゃべっていてほしい」
 あたしはあわててページをめくり、今度はグラタンを指さした。
 訊かれる前に、佳子はそれを指さして言った。
「げりちあ」
 みんなが思わずベッドから一歩退いた。
「うっ」
「き、きもちわる」
「やめて。グラタンが食べられなくなる」
「もういい。もうじゅうぶんわかった。納得した」
 おかげで、やっと騒ぎがおさまった。
 それからあたしたちは、頭のなかで必死に言葉を置き換えたり、紙とペンを使ったりして、なんとか佳子とコミニュケーションをこころみた。
 あたしはとにかく、どういう事態におちいっているかを佳子に説明しようとした。自分の言葉がどうなっているのかがわかれば、佳子自身が努力して相手の言葉を変換して、なんとか相手の言うことを理解したり、学校に行けるのではないかと思ったのだ。
 でも、だめだった。言葉が五十音順で一文字ずつうしろへずれていることを五十音順で一文字ずつうしろへずれている言葉で説明することがむちゃくちゃむずかしくて、そのうちにあたしの頭がこんがらがってしまうし、なんとか説明しても、失恋のショックでノイローゼにおちいっている佳子にはどうしても理解できないようで、しまいには頭をかかえて「んきあにう、んきあにう」と叫びだしてしまうのだ。あたしたちは彼女に理解させるのをあきらめざるをえなかった。
 しかし、ひとつだけ収穫はあった。けっきょくあたしたちは佳子の言葉を「へりろち語」と命名したんだけど、そのへりろち語がどういうふうになっているのか、さらにくわしく解明することができたのだ。
 まず、へりろち語における五十音は、正確には四十五文字だということがわかった。つまり、あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわん――の四十五文字だ。
 それから、「を」は「お」とおなじ扱いになり、「か」に変換される。それから、助詞の「は」は「わ」とおなじ扱いになり、「ひ」ではなくて「ん」に変換されるようだ。おなじように、「へ」は「え」とおなじく「お」に変換される。それから、「っ」は「て」になるらしい。
 かといって、問題が解決にちかづいたわけではない。雨が降りはじめるし、外が暗くなってきたので、あたしたちは膝をかかえて泣いている佳子をどうすることもできずに、とにかくへりろち語で「ごあくぢすと(元気だして)」とか「みちけれの(またくるね)」とか「ぢうずらえべら、にあなきにれん(だいじょうぶよ、なんとかなるわ)」とか励まして、帰ることにした。
 もっとも、さおりだけは佳子の本棚のコミックを両腕にいっぱいかかえて「さろきるとけだ(これ借りてくぞ)」と言ってたけど。


へりろち


弾射音
連載小説
(C) 2002 Dan Shannon. All rights reserved



2002/3/10

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