第4回

「へりろち、か――」
 アニキが、パソコン・デスクの前に腰をおろしたまま腕組みをして考えこむ。
 さんざん考えたんだけど、なんにもわからないので、あたしはとうとうアニキに相談することにしたんだ。あたしのアニキは真性のSFおたくだが、大学で心理学とかもやっていて、ひょっとしたらなにかわかるんじゃないかと思ったんだ。
「うーむ」
 腕組みをしたままだ。
「へりろちねえ」
「ね、これはないしょよ。話がひろまっちゃったら、佳子がかわいそうだから」
「おれが言い触らすわけないだろう。だいいち、おまえの友だちなんかひとりも知らないんだから、その子を知ってる人間に言い触らしようがない」
「そりゃ、そうだけど」
 アニキは腕組みをしたまま立ちあがり、テーブルをはさんであたしの目の前に腰をおろした。
「うーむ」
 眉間にしわ寄せて、うなってばかりだ。
「なにかわかったの?」
「――わからん」
「がくっ」
 アニキはずっこけたあたしをにらんだ。
「おれにだって、かんたんにわかるわけないだろ。こんな話、聞いたことないんだから」
「だけど」
「じゃ、おまえ、なにかわかるのか」
「わかんないからアニキに聞いてるんじゃん」
「だったらずっこけるな」
「へえへえ」
 アニキはふたたび腕組みをしてうなりはじめた。あたしも思わずおなじことをしてしまう。
 でも、ちょっとしたことを思いついた。
「――ねえ、アニキ。これ、ひょっとしたらなにか暗号みたいなもんじゃないかな」
「そうかなあ。ただ単になにかのショックでわけのわからんことを口走ってるだけのようでもあるんだが」
「うーむ」
 あたしも、うなるしかない。
「うーむ。暗号か。まあ、いちがいに否定はできんかもしれんけどな」
「うーむ」
 兄と妹で向きあったまま、腕組みしてうなるばかりだ。
「うーむ。暗号ねえ」
 うなりながら、アニキは腕組みを解いてテレビのほうに向きなおり、横のラックからビデオテープを一本ひっぱりだしてビデオデッキにつっこんだ。
 テレビのスイッチをいれる。SF映画のビデオらしい。猿がいっぱいでてきて、ふたつのグループに分かれてキイキイわめきながらケンカしている。
「ちょっと、のんきにビデオなんか見てないでよ。ひとが悩んで相談してんだから」
「いや、なんとなく、こいつがなにかヒントを与えてくれそうな気がしてな」
 アニキは真剣な顔してテレビを見据えている。あたしはため息をついた。全身から力が抜ける。
 ブラウン管では、いつのまにか猿たちが消えて、人工衛星やら宇宙船やらが飛び交っている。
「うん? 待てよ?」
 アニキはテレビから目をはなして、テーブルに向きなおった。テーブルの上にあったボールペンをとり、ワープロ用紙になにか書きはじめる。
「アニキ、どうしたの?」
「美登里」
「なに?」
「その、佳子って子は、イカスミって言ったんだな?」
「うん」
「それから――へりろち、だったっけ?」
「そう。さっきから何度も言ってるじゃん」
「イカスミ。それと、へりろちか」
 あたしはワープロ用紙をのぞきこんだ。
 イカスミ。へりろち。そう書いてあるだけだった。
 あたしはまたがくっとした。
「おまえが言ったとおり、これを暗号だとしよう。ほかになにか、言ってなかったか」
「そうねえ――むなる。むなるって、言ってた」
「むなる――か」
 アニキは、ワープロ用紙に「むなる」と書き加えた。
「それから?」
「えーと」
「えーと――か」
「ちがうちがう!」
 アニキはワープロ用紙に「えーと」と書いたのを消す。
「いるぎな――いるぎなとも言ってた」
「いるぎな――か。それから?」
「あとは憶えてないなあ」
「そうか」
 アニキはふたたび腕組みをして、ワープロ用紙に「イカスミ」、「へりろち」、「むなる」、「いるぎな」と書いたのをじっと見つめた。うしろでは、ダンゴみたいなかたちの宇宙船が月面に接近していくところだった。
 アニキが腕組みをやめ、またなにかワープロ用紙にごちゃごちゃと書きはじめる。それから手を止めて、ふたたびテレビのほうへからだを向けた。
「だから! 映画ならあとで見てよ」
「思うんだけどさ」
「なに?」
「これ、月面の地下かなんかで会議やってるんだよね」
 なるほど、ブラウン管には机が四角にならべられた部屋におっさんたちがおおぜい集まっているのが映しだされている。
「だから、なんなのよ」
「ほれ、こいつ。歩きまわってるこいつさ、カメラマンみたいなんだけど、なにか気がつかないか」
「なんも」
「この映画、好きでさ、もう二十回ぐらい見てんだけど、このシーンだけひっかかるんだよね」
「なんで?」
「だって、月の重力は地球の六分の一だろ?こんなふうに、ほとんど走るみたいに歩きまわったら、ぴょんぴょんジャンプしちゃって、天井に頭ぶつけると思うんだよな」
「で、それが佳子のこととなにか関係あるの?」
「ない」
「ったくもう!」
「わりいわりい」
「とにかく、ビデオ消して真剣に考えてよ!」
「わかった」
 アニキは未練がましくビデオを止めた。ふたたび、ワープロ用紙にいろいろ書きはじめる。
「うーん。よくわからんが――ん? 待てよ」
「どうしたの?」
 あたしは身をのりだした。
「待てよ?――そうか! わかったぞ!」
「なに? なに?」
 アニキはワープロ用紙をとりあげて、あたしの顔の前にかざした。
 それにはこう書いてあった。


へりろち → ふられた

「へ?」
 あたしは思わずすっとんきょうな声をあげてしまった。
「これもだ」
 アニキはまたなにか書いて、あたしに見せた。


イカスミ → アオシマ

「おおっ?」
「なっ?」
 アニキはウインクしてみせる。
「――どういうこと?」
「つまりだな」
 と言って、アニキはふたたびビデオをつけた。
「だから! 映画はあとにしてよ」
「まあ待ちな。おまえ、この映画知ってるか」
「知んない。なんなの?」
「2001年宇宙の旅」
「あ、聞いたことある」
「有名なやつだからな。この映画んなかに、ハルって名前のコンピュータが出てくるんだが」
「ハル?」
「そう。H、A、L。ある説では、こういうことになるんだ」
 アニキはワープロ用紙をめくってこちょこちょっと書いて、あたしに見せた。


IBM → HAL

「なに、これ?」
「つまりだ。このHALってのは、IBMをアルファベットの順番で一文字ずつ前にずらしたってことだ。ほら」
 ペンを走らせるアニキの手もとを、あたしはのぞきこんだ。


I B M
↓ ↓ ↓
H A L

「なるほど」
「な? つまり、架空のコンピュータの名前が実在のコンピュータ会社の名前をもとにしているのではないかということになるわけだ」
「へえ。おもしろいこと考えるわよねえ」
 あたしは言った。
「で、今回の事件だが」
「うん」
「その佳子って女の子の言葉を、こう、五十音順で、ひとつ前の文字にずらしてみる。すると、こうなる」


い る ぎ な
↓ ↓ ↓ ↓
あ り が と

「――あ、そうか!」
「な? これで、ちゃんとわけのわかる言葉になるだろ? つまり、佳子ちゃんの言葉は、HALの場合とは逆に、五十音順で一文字ずつうしろにずれてるんだ。だから、『アオシマ』は『イカスミ』に、『ふられた』は『へりろち』になるわけだ」「――そうだったのか」
 きゅうに世の中がぱっとあかるくなり、いままで見えなくてその存在に気がつかなかったところが、いきなり目の前に全部あらわれはじめたような気分だった。
「――すごい」
 あたしはワープロ用紙とボールペンをアニキからひったくった。「むなる」とアニキが書いたところをひらいて、「あいうえおかきくけこ」とぶつぶつ言いながらその横に書き加える。


む な る
↓ ↓ ↓
み と り

「みとり?」
「『みどり』だろう。おまえのことさ」
「ああ。なるほど」
 あたしはガク然とした。
 まったく、これはものすごい。なにかでたらめな、なんの意味もないことだと思っていたのに、佳子はじつはちゃんと意味のある言葉をしゃべっていたのだ。ただ、あたしたちにわからなかっただけなのだ。


へりろち


弾射音
連載小説
(C) 2002 Dan Shannon. All rights reserved



2002/2/26

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