第11回


                     16

 それからずっと弥生に会わない日が続いた。もう会えなかった。弥生も訪ねてこなかった。 あの日の件は、仲間の間で噂になっているらしかった。知子が休み時間に翠を訪ねてきた。
「弥生さんと会ってるの?」
 知子は言いにくそうに聞いた。
「会ってないわ」
 翠は冷たく言った。知子は小さくため息をついた。
「理恵たちから聞いたけど」
 知子は言葉を濁すように言った。
「何があったの」
「私の方が聞きたいわ」
 翠は叫ぶように言った。
「私が何をしたって言うの。どうして、あんな思いをしなきゃいけなかったの」
 知子は、困ったように首を振った。
「何だかさっぱりわからない。感情のもつれよね。弥生さんと話し合ってみたら」
「会いたくない。もう顔を見たくもない」 
翠が言った。知子はびっくりして叫んだ。
「翠ちゃん!」
「もう駄目よ。私たち腹心の友だなんて言ってたけど、もう駄目」
 翠の言葉から激しさが消えた。
「別れるしかないわ。中途半端はいや」
 翠の目にうっすらと涙が光った。
「弥生さんは毎日道子さんと一緒に帰ってるんでしょう。知ってるわ。私では、彼女は満足できないんでしょう」
 翠が悲しそうに言った。
「理恵たちは、翠ちゃんが可哀相だったって言ってるわ。理由はどうあれ、話し合ってみるべきよ」
「駄目よ。もう終わり」
 知子が弥生の手を握りしめた。日頃クールな知子にしては珍しく、情熱を込めて言った。
「私、翠ちゃんのこと大好きよ。弥生さんのことも好き。二人を見ていると、ああ良い友達だな、って思うの。この二人は、本当に良い友達なんだなって。だから、駄目だなんて言わないで。別れるなんて、駄目よ。絶対に」

 知子の願いが通じたのか、神がラストチャンスをくれたのか、それから数日後、登校途中に翠は偶然弥生と出会った。弥生は、どういう風のふきまわしか自分から声をかけてきた。
 まるで、弥生はこの前の出来事をすっかり忘れてしまったかのようだった。不機嫌な翠の様子を見て取って、弥生も黙ったまま、しばらく二人は歩いていった。現在の不幸な状況を打破するのは今しかない、と翠は感じていた。だが、話しかけるのには大変勇気がいった。
「弥生さん」
 呼ばれて、弥生は翠の方を見た。かすかな笑顔を浮かべていた。
「こうして話すの久しぶりね」
 翠が言った。
「本当ね」
 弥生がしみじみ言った。
「最近の私たち」
 翠は言いにくそうに言葉を切った。
「どう思う?」
 先日の帰りの件は言い出せなかった。弥生は、額にかかった前髪をかきあげた。
「久しぶりに会ったって感じ。前は毎日会っていたのにね」
 弥生はゆっくり言った。
「正直に言うと、翠ちゃん変わったな、って思ったの」
 翠が一番聞きたくなかった言葉だった。弥生は翠の様子にはお構いなく言葉を続けた。
「翠ちゃん、前はもっと明るかったわよ。そりゃあ、今でも明るく話し、笑う人だとは思うけど・・・」
 弥生は小さくため息をついた。
「でも、何かが違うのよね」

 翠は無言で弥生の言葉を聞いていた。
「それに、最近私の言うことが何だか反対されているような気がするの。この前も、規則のことで言ってたでしょう。私が、規則は守るために作られているんだって言ったら、翠ちゃん言ったわ。規則は破るために作られているんだって。嫌な言い方だったわ。すねたような言い方で。信じられなかったわ。あなたがあんなこと言うなんて」
 今度は翠が小さくため息をつく番だった。
「そんな翠ちゃんと会っても面白くないな、って最近思ってたの」
 弥生は言った。弥生の記憶からは先日の帰りの出来事は消え去っているかのようだ、と翠は思った。自分が変わったなんてことは、自分が一番良くわかっている。そんなことは誰も聞きたくなかった。翠が知りたいのは、何故自分をあんなにひどく無視したかなのだ。だが、これが弥生の遠回しの返事なのかもしれない。
「だから、この前私を無視したわけ?」
 翠は思い切って、ぴしゃりと言った。弥生の顔から、柔和さが消えた。
「私は変わったかもしれない。確かに少しはね。だって、みんな大人になっていくのよ。夢を食べて生きては行けないのよ。現実に直面しようと思えば、変わらずにはいられないじゃない」
「前は良かったわね。本当に良いクラスだった。あなたも素晴らしかった」
 弥生は夢見るような口調で言った。
「何故、みんなあのクラスを忘れていくのかしら」
 弥生は過去の夢の中で生きている、と翠は思った。もし、それが許されるなら、翠だってそうしたかった。
「私だって、大好きだったわ。忘れたりしない。誰も忘れやしないわ。でも、今はみんな違うクラスの中で生きているの。あんな素晴らしいクラスじゃない、もっとドロドロしたもののいっぱいあるクラスの中で。それが社会の縮図よ。正しいことが正しいで通らないのが今の社会じゃない。生きて行くためには、妥協することだって覚えなければ仕方がないじゃない」

 弥生はもう翠の言葉を聞いていなかった。翠は、弥生の目を覚ましてやりたかった。そして、現実を見つめ、今の自分を受け入れて欲しかった。受け入れられないなら、ひっぱたいてでも良い、しっかりしろ、自分をしっかり持って周りに流されるんじゃない、と激励して欲しかった。翠の欲しいのは、過去の思い出に生きる亡霊のような腹心の友ではない。自分を支え、励まして共に生きてくれる腹心の友だった。弥生は、そんな翠の気持ちをとうとう理解してはくれなかった。


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 数日間、欝々と過ごした後、翠は弥生に手紙を書いた。最後の手紙だった。
「弥生さん。あなたに手紙を書くのは久しぶりです。前は毎日のように書いていたのに。 この前、久しぶりに二人で話しましたが、私たち、すっかりすれ違ってしまいましたね。私は、あなたが泣きながらやってきたあの日、あなたにすっかり無視された原因が聞きたかったのです。あなたの言い分によると、私が変わったからということになるようですね。 前にお話しした通り、私は確かに変わったかもしれません。もう、あなたのレベルには合わない人間かもしれませんね。私は変わるのが怖かった。出来るなら、あなたに止めて欲しかった。でも、あなたは見事に私を見捨てました。
 私たち、一年前に腹心の友の誓いをしましたね。その時、お互いに何でも言い合おうと約束しました。たとえ、言いにくいことでもそれが本人のためになるならば。でも、私たち、それを実行に移せませんでした。もう、私たちの心は通わない。こうなってしまった以上、腹心の友ではいられません。名前だけの腹心の友ならいないほうがまし。悲しいけれど、お互いのためにお別れするのが良いようです。私はあれからずっと悩んで、欝々と過ごしてきました。こんな思いはもう沢山です。
 とは言え、あなたとは素晴らしい時を共に過ごしてきました。腹心の友でなくなっても、クラスメートであったことは変えられません。楽しい時をありがとう。一生忘れられない思い出です。これからは、それぞれの道を行きましょう」
 悩んで悩んで、やっと翠が到達した結論だった。精神的にかなり参っていたし、勉強は全く手につかなくなっていた。この状況を抜け出す一番簡単な道だった。時が解決してくれるのを待っているわけにはいかなかったのだ。翠は受験生だったのだから。
 この手紙を渡したのが、弥生と言葉を交わした最後だった。この日の放課後、弥生は一人で教室の窓から下のたまり場を見ていた。 たまり場はひっそりしていた。道子が一人で立っていた。やがて、弥生が出てきた。二人は言葉を交わすと、一緒に歩き始めた。二人が校門を出ていく様子を、翠はずっと目で追っていた。

 翠と弥生が決裂すると、それに引っ張られるようにしてトラップファミリーシンガーズの仲間たちも崩壊してしまった。あんなにいつも集っていた仲間たちが、一瞬にしてバラバラになってしまった。
 弥生についたような形になった道子とは、翠はもう付き合わなかった。知子や理恵子は中立であったが、どちらかといえば翠に優しかった。翠が、弥生と決裂したことを知子に知らせると、知子は長い長いため息をついたが何も言わなかった。だが、それからもときどき翠を訪ねては淋しさを癒してくれた。
 解体したトラップファミリーシンガーズの残りの仲間と、クラスの友人に支えられて、翠は少しずつ腹心の友を失った痛手から立ち直っていった。


ドレミの歌を歌った頃


桐生 梓
連載小説
この小説はフィクションです。

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2002/12/23

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