第3回


                     5

 林間学校で、弥生はしっかり者の班長を務めた。弥生は規則にも厳しく、妥協をするということがなかった。翠でさえ、息が詰まるくらいだった。そんな弥生が班の他のメンバーに受け入れられるはずはなかった。

 弥生が班長会議で部屋を離れたとき、部屋の中は舟橋弥生を糾弾する会と化した。陽子が持ってきていた日焼け止めクリームを弥生が荷物検査で見つけて、先生に報告したことがきっかけだった。
「本当に腹立った」
 陽子がいまいましそうに言った。先生からは、軽い注意を受けただけで済んだものの、わざわざ呼び出された陽子の気持ちは済まなかった。
「日焼け止めクリームが化粧品?」
 陽子は仲間の顔を見渡して言った。
「舟橋さんの感覚って狂ってるんじゃない」
 仲間たちが一斉にうなずいた。
「自分の班の子の告げ口する班長なんて最低」
 一人が言った。
「最初っからさあ、あんな人班長にするからいけないんだよ」
 陽子が言った。秋江が翠の方を見て言った。
「翠ちゃんが班長だったらねえ」
 翠は困ったようにかすかに笑った。
「だって、翠ちゃんだったら、告げ口する?」
 秋江が聞いた。翠は一瞬返事に窮した。
「そう……。しないでしょうね」
 翠は静かに言った。
 決して仲間に合わせたわけではない。それは本当のことだった。翠だったら、多少規則違反の持ち物を見つけたって、先生に報告したりはしない。
「舟橋さんと同じ班なんて、もうぞっとする」 
陽子が叫ぶように言った。
「何で、あたしたち、たとえ少しの間でもあの人と同じグループにいたりしたんだろう」 
秋江がしたり顔でうなずいた。
 翠は立ち上がった。
「どこ行くの」
 陽子が聞いた。
「うん。ちょっと」

 翠は、廊下に出ると、深く息をついた。廊下は人通りがなく、シーンとしていた。翠は当てもなく、ゆっくり廊下をうろつき始めた。
 彼女たちの会話には、もうげっそりしていた。弥生は確かにきついし、翠にも付き合いきれないと感じられる面はあるけれど、あんな風に悪口の対象とされるべきではない。
 弥生に好意を抱きつつあるくせに、弥生の弁護の一つもしない自分が情けなくもあった。だが、今まで翠は本当に自分が弥生のことを好きなのかどうか、実のところ自信がなかったのだ。
 弥生は、平凡な自分が仲良くなるにはあまりに素晴らしすぎる人なのだという気がずっとしていた。自分の心がもはや秋江たちから離れつつあるのはわかっていた。弥生のことについては意見が合わないが、その他の点については秋江たちだって良い友人と言えた。いや、むしろ弥生に比べて、ずっと気安くつき合える友人だった。
 翠はグループを離れる勇気がつかなかった。弥生は一人でも平気で毎日を過ごせる強い人間かもしれない。だが、翠は違った。群れることを好んではいないものの、全く群れから離れてしまっては生きていけない人間だった。女子の中でアウトロー的存在になっている弥生と二人で、クラスの中で暮らしていく自信がなかった。

「翠ちゃん」
 突然声をかけられて、翠は現実に戻った。 弥生がニコニコして立っていた。
「会議、終わったの」
 どぎまぎしている自分の気持ちを気付かれないように、と願いながら翠は早口で言った。 弥生はうなずいた。
「どうしたの。こんなところで」
 弥生の声は優しかった。
「行きましょうよ」
「弥生さん」
 部屋に向かおうとする弥生を、翠は慌てて引き留めた。弥生は翠の表情から、事情を悟ったようだった。
 弥生は黙って窓に近づいた。
「見て、すごくきれいな星空」
 弥生に手招きされて、翠も窓に近づいた。 良く晴れた夜空に無数の星々が瞬いていた。六等星ぐらいまで見えるのではないか、と翠は思った。こんな空は見たことがなかった。夜空を彩るネオンもない。空を曇らす排気ガスもない。自然のままの空、普段の生活で忘れかけていた大宇宙がそこにはあった。
「私は間違ってたとは思わないわ」
 弥生は唐突に言った。
「規則は規則。守るべきよ。もし、守れないような規則なら、変えるように努力するべきなのよ。」
「理屈はそうでも、難しいことよ」
「でしょうね。規則に固執している舟橋弥生は、付き合い難いって思われるわね」
 弥生は少し自嘲気味に笑った。
「でも、いいの。これは私のポリシー。正しいと信じることはやり抜くわ」
 翠は弥生を見た。思い詰めたような、どこか少し淋しさを感じさせる横顔だった。
「会議、ちょっと前に終わったの。実は少し外で空を見てたんだ。見たかったの、この星空。楽しみにしてたのよ」
 翠は、もう一度空に目を移した。
「宇宙は広いわ。くだらない小さなことなんか忘れさせてくれる」
 弥生は星空を見上げながら、半ばうっとりして言った。
 弥生もスケールが大きい、と翠は思った。普通の中学生の定規で計れる人じゃない。
 二人はしばらく黙って星空を眺めていた。今、翠は弥生の気持ちが深く理解できた。
 グループがどうの、仲良しがどうの、クラスがどうの、なんてあまりにスケールが小さすぎる。自分なんて、この広い大宇宙の中では塵にも満たない存在なのだから。


                      
ドレミの歌を歌った頃


桐生 梓
連載小説
この小説はフィクションです。

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2002/10/21

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