第2回


                     3

 クラスが変わってすぐに、翠は近くの席に座っていた秋江や陽子たちと四人の小グループを作った。その中の一人が弥生だった。
 翠は弥生のことを全く知らなかった。弥生は、秋江と隣のクラスで顔見知りだったことから、何となくグループの一員になったのだった。しかし実際は、同じグループになっても、弥生は一人で行動することが多かったし、滅多に話にも加わらなかった。翠と他の二人は親密度を増していったが、弥生だけはいつまでたっても異端者だった。そんなことから、翠にとって弥生はグループの中でも一番遠い存在だった。

 やがて、弥生はクラスの中で頭角を現し始めた。弥生がずば抜けて優秀なことがわかってくると、グループの他の仲間は段々弥生のことを疎ましく思い始めた。
 それに弥生にはすごく物をはっきり言うところがあった。言いにくいことでも、弥生はズバリ切り捨てるように言った。時にはその言い方がとてもきつくて、翠もそこまで言わなくても、と思ったことが何度かあった。

 弥生とグループの仲間の確執が始まったきっかけは、春の遠足だった。四人でお弁当を食べ終わった後、秋江が陽子に言った。
「トイレについてきて」
 日常いつも耳にする言葉だった。その時、弥生が言った。
「トイレぐらい一人で行けばいいじゃない」 
翠たち三人は思わず弥生の方を見た。弥生は平然としていた。秋江の隣に座っていた翠は、秋江の目に涙が光ったのを見た。何気ない一言だったが、きつい言い方だった。やがて、陽子が立ち上がって、秋江と二人でどこかへ行ってしまった。
 あの二人が今ごろ何を言っているか、翠には手に取るようにわかった。最近、弥生の悪評が高まっているところだった。弥生は大きく伸びをした。
「ああ、せいせいしたわね。あなたと二人の方が良いわ」
 翠はびっくりして弥生を見た。弥生は翠に向かってにっこり笑った。
「あなたは良い人ですものね」
 翠は返す言葉がなかった。
 翠は秋江と仲が良かったし、秋江の涙を見た時、心から秋江を可哀相に思った。だが、何故か弥生のことを悪くは思えなかった。弥生はあんなにきつい言い方をするべきではなかった。それは良くわかっていたのだが、翠の心のどこかで弥生に拍手を送る気持ちがあったのは確かだ。
 女の子はすぐに群れて行動したがる。トイレについてきて、職員室についてきて、隣のクラスについてきて。日に何度となくそういう会話が交わされる。まるで、一人で教室の外に出歩いてはいけないみたいだ。
 翠は、実のところうんざりしていた。トイレでも職員室でも一人で行けばよいのだ。翠は、ほとんど人にどこかについてきてと頼んだことはなかった。だが、そんな翠も頼まれればいやとは言えなかった。日に何度となく人のお供であちこちついて回っていた。それもつきあいの一つだ、と翠は割り切っていた。それを、弥生ははっきりと「一人で行けば良い」と言った。どんなに機嫌が悪くても、翠には決して言えない言葉だった。

 その日の帰り、別れ際に弥生は翠だけににっこりと笑って「さようなら」と言った。それがまた、秋江と陽子の怒りをかった。陽子が憤慨して言った。
「何、あの態度」
 秋江が言った。
「翠ちゃん、気をつけてよ。舟橋さんは、どうやら翠ちゃんがお気に入りみたい」
 翠は戸惑って言った。
「でもね、私は舟橋さんってそんなに悪い人には思えないけれど」
「何言ってんのよ」
 陽子が声を張り上げた。
「クラスの女の子の大半が舟橋さんを嫌い始めてるよ。知らないの」
 翠にとって、そんな話は初耳だった。
「知らないわよ。嘘でしょう」
「翠ちゃんはのどかなんだから」
 秋江が苦笑して言った。
「舟橋さんって、ちょっと頭が良いからって威張ってるじゃない。私たちのことなんか馬鹿にしてるのよ。嫌な人よ、全く」
 陽子が同意するようにうなずいた。

 それは違う、と翠は思った。ちょっと頭が良いくらいじゃない、弥生はれっきとした秀才だ。それに翠の見るところ、威張っているようには感じられない。弥生から感じられるのは、自分に対する大いなる自信であり、プライドだった。だが、考えようによってはそれが威張っているように思えるかもしれない。
 秋江と陽子は、堰を切ったように弥生の悪口をまくしたてていた。傷つけられた秋江の気持ちも良くわかった。弥生のあの言い方は馬鹿にしていたと言えなくもない。それに、翠の知らないところで弥生と秋江たちの間にはもっと確執があったのかもしれない。何しろ、翠は弥生の悪口がクラスの女子の間に広まりつつあることなど、全く知らなかったのだから。秋江たちの話を聞きながらも、二人だけになったとき、にっこり笑った弥生の顔を翠は忘れられなかった。


                     4

 しばらくして、弥生はグループを離れた。なるべくしてなったことだった。恐らく弥生もこのグループの仲間では飽き足りなくなったのだろう、と翠は思った。
 弥生を受け入れてくれる次のグループは見つからなくて、弥生は一人だったが、相変わらず平然としていた。その様子が、ますます翠の興味をそそった。周りがどうあろうと我が道を行く弥生にうらやましささえ感じた。

 弥生がグループを離れるずっと前に、夏の林間学校の班が決まっていた。翠と弥生と秋江と陽子、さらに他のグループの三人が同じ班だった。遠足のことがあってから、秋江と陽子はこの班編成に不満をもらしていたが、もう変更は出来ないのだからうまくやって行くしかない、と翠は二人をなだめた。
 弥生が班長、翠が副班長に決まっていた。弥生と他の子たちの確執を考えると翠は頭が痛かったが、極力自分がクッションになろうと思っていた。
 弥生は真面目な班長だった。班行動の計画をきちんと練り上げて翠に相談にやってきた。それがきっかけで二人は良くしゃべるようになった。そして、翠は同じグループにいたときには知らなかった弥生の別の面を知ることになったのだった。

 翠は小さい頃から本が好きで、今でもかなりの読書家のつもりだったが、弥生の本好きはそれ以上だった。翠のまだ読んでいない本をたくさん読んでいて、翠に内容を語った。本の貸し借りから急速に二人は接近するようになった。
 だが、秋江や陽子は弥生のことを良く思っていなかったし、翠が弥生と話すことをも嫌っていた。これ以上秋江たちを刺激したくなかったので、翠は仲間の目の届かないところで弥生と会うようになった。帰り道が同方向だったので、二人は門の外で待ち合わせてしばしば一緒に帰った。まるでロミオとジュリエットだった。

 翠は仲間たちが好きだったし、グループを離れるつもりはなかった。ただ、弥生の話には魅力があった。時々語ってくれるアメリカの話、弥生の好きな本の話。いつもグループの中でしているような、マンガやテレビやアイドルや男の子や誰かの噂話とは全く違う、心を洗われるような純粋さを弥生との話の中で翠は感じていた。

「モンゴメリの『カナダの夕暮』っていう詩なの」
 弥生は自分の読んだ物について生き生きと語った。
「夕焼けの西の空は淡い暮色に包まれ、
 静かに神秘をたたえた銀色の海の上に、
 やがて星々の花が咲き乱れる。
 海辺に沿ってどこまでも続く砂丘の静けさ、
 塩風を受けて、岸辺の草やケシたちは、
 人影絶えたやさしい静寂のなかで、
 そっと肩を触れ合っている」
 弥生は朗々と詩を読み、翠はうっとりとそれを聞いた。翠が憧れていた、詩や文学に彩られたロマンティックな青春だった。

 弥生と過ごす時間が長くなるにつれ、翠は激しく弥生にひかれていく自分を感じていた。最初は秋江たちと弥生とを天秤にかけていたが、やがて弥生の存在は翠の中でどんどん大きくなっていった。弥生は自分の持てる魅力を出し切って翠を引き寄せているかのようだった。思えばあの遠足の時、弥生は翠を友として選んだのかもしれない。そして、翠もあの時、弥生にたまらない興味を感じた。二人は友達になるように運命づけられていたのかもしれない。







                      
ドレミの歌を歌った頃


桐生 梓
連載小説
この小説はフィクションです。

(C) 2002 Paonyan. All rights reserved



2002/10/13

Ads by TOK2