第1回

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 レンタルビデオショップの中は人でいっぱいだった。翠はゆっくりとビデオテープが所狭しと並んだ店内を歩いていった。
 今日は忙しい一日だった。帳簿の計算は合わないし、お客が多くて何度もお茶汲みに立たなくてはならないし。
 翠は小さなため息をついた。OLも楽じゃない。週休二日が救いだった。今晩はゆっくりビデオでも見て疲れを取るつもりだった。
 いつか見た映画、見たかった映画のタイトルが目に入る。SF、アクション、ミュージカル……。翠はふと足を止めた。そして、吸い寄せられるように手を伸ばしてテープのケースを取り出した。それは二本組になっていて、目立つように置いてあった。
 「サウンド・オブ・ミュージック」。ジャケットの写真の中でジュリー・アンドリュースが歌っている。「心にひろがる青春の輝き」……。そう、これがこの映画のキャッチフレーズだった。翠は思わず小さな声で口ずさんだ。
「Doe-a deer, a female deer,
 Ray-a drop of golden sun,
 Me-a name I call myself,
 Far-a long, long way to run」
 翠はハッとして歌をやめた。もう忘れたと思っていたのに、「ドレミの歌」の歌詞がすらすら出てきたのは意外だった。あれから十年以上経っているのに、まだ「ドレミの歌」が歌えるんだ、と翠は思った。


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 「ドレミの歌」が流行ったのは中学の時だった。テレビで放映された「サウンド・オブ・ミュージック」を見てすっかり感激した翠と友人たちは、英語で「ドレミの歌」を歌う練習を始めたのだった。
 偶然にも歌詞が英語の教科書に載っていた。良く知っている歌でも英語で歌うとなると難しい。ジュリー・アンドリュースは転がすように歌っていたが、翠たちが歌うと、早口で歌詞を歌いきれなくて字余りになってしまう。翠たちは何とかスラスラ歌えるようにしようと休み時間ごとに練習を重ねていた。その練習を指導していたのが弥生だった。

 大手商社員の父を持ち、アメリカで子供時代を過ごした弥生は、ネイティブスピーカーの強味を発揮して、ジュリー・アンドリュースばりの発音で歌っていた。そしてマリア先生が子供たちに歌を教えるがごとく、弥生も指導者としての力量を発揮し始めた。
 休み時間になると翠たちは弥生のもとに集まった。弥生は、こことここをくっつけて歌うようにするとメロディに合わせて歌えるようになる、などと細かいところまで注意した。 練習の成果があって、翠たちはすぐに「ドレミの歌」を歌えるようになった。

 弥生はクラスでも抜群の成績だった。英語は先生顔負けの発音だし、しっかりしていてクラス委員も務めているというすごい才女だった。
 当時はまだそんなに海外旅行は盛んではなかったし、弥生の「アメリカ帰り」のレッテルは皆の羨望を集めていた。
 初めて弥生が英語の教科書を読んだとき、その流暢な発音にクラス中がどよめいた。先生でさえ驚いて、それからしばしば自分の代わりに弥生に模範音読をさせたものだった。 翠の方は成績はまあまあだったが、抜群というほどではなく、とりたてて目立つところのない、ごく平凡な少女だった。
 そんな翠がいつのまにか弥生と一番の仲良しになっていた。翠自身にも何が縁だったのかよくわからなかった。


ドレミの歌を歌った頃


桐生 梓
連載小説
この小説はフィクションです。

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2002/10/6

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