メダルの数より尊いもの   〜マット・ビオンディ


アメリカ  水泳選手

1980年代、ロス五輪で注目を集め、ソウル五輪ではアメリカの大エースに成長した水泳選手。短距離で世界記録を連発し、文句なく王者と言われた。

以降はバルセロナ五輪の時に私が書いた記です。

 マット・ビオンディと言えばアメリカ水泳界のスーパースター。ロス五輪でのリレーでの金メダル。続くソウルでは金メダル五個。銀や銅を合わせればメダル獲得数は、かなりのはず。そのマットも、さすがに衰えたと言われながらも、三大会連続の金メダル獲得はなるかと騒がれながら、バルセロナに入った。
 ソウルでのマットは絶対的な強さがあった。バタフライで、無名だったネスティに金メダルを奪われる波乱があったものの、強さは群を抜いていた。リレーでも、マットがアンカーを務めていると安心して見ていられた。接戦を演じていても、マットにバトンタッチすると圧倒的な強さで相手を引き離していく。絶対的なエースであるマットがいるアメリカチームは文句なしに強かった。
 そのマットも、バルセロナでは台頭してくる新勢力に押される形になってしまった。世界記録を持つ百メートル自由形では五位。五十メートルで二位。四百メートルリレーで優勝しただけの、金メダルは一つにとどまった。マットを追い落とした形になったのは、ポポフ、サドウィらの若いEUNの選手達だった。
 ミュンヘンオリンピックの大スター、マーク・スピッツがバルセロナを狙うということで一時期評判になった。かつては、泳げば金メダルと言われたスピッツも四十代を過ぎて体力の衰えはあったが、果敢な挑戦は拍手を浴びた。その時、アメリカ水泳界の大御所はマット・ビオンディ。スピッツは、バルセロナに出たいが、ビオンディに勝って出場権を取るのは無理だろうと語っていた。水泳の神様のようなスピッツに、そう言わせたマット。スピッツが、彼の若さと体力に勝てなかったように、彼もまた、新しい力には勝てなかった。
 時は、彼の前にも流れていた。王者は散ったが、マットは悪びれなかった。今期の不調も言われていたし、まだ次はある。真の王者は、自分を追い抜いていく者を温かく見守るものだ。マットは、王者の名に恥じない立派な態度で新しい英雄を祝った。
 金メダルが何個、銀メダルは何個、銅は、と世間はメダルの獲得数にかまびすしいが、メダルの数より大切なことがある。全力を尽くすこと。そして、その結果負けたなら笑って負けを認めよう。勝者の方が力が上だったのだ、と。王者マットは、それを知っていた。


2004/8/29
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