第三の男の勝利 〜 ポール・ワイリー

2002/2/17

Paul Wylie  1964年10月28日生まれ

アメリカのフィギィアスケート選手 男子シングル

何年も応援してきた選手が、ある日突然脚光を浴びる……。その時の嬉しさを何と表現したら良いのだろう。「私の目に狂いはなかった……。」という思いがこみ上げる。フィギィアスケート男子シングルのポール・ワイリーは、私にその思いを味あわせてくれた。
彼を初めて見たのは何年も前のNHK杯だった。小柄だったが、スケーティングの切れがとても良かった。未完成で失敗も多かったが、スケーティング自体はうまかった。それに、格別ハンサムというわけではないが、笑顔がとてもさわやかで頭も良さそうで、好感を持った。頭が良いはずだ。彼はハーバードの学生だった。

当時、アメリカにはブライアン・ボイタノという押しも押されぬ大エースがいた。ポールは、そのボイタノが優勝したカルガリーオリンピックで、アメリカ代表として出場した。勿論、ボイタノがエース、それを追うのがクリストファー・ボーマン、ポールは三番手の選手という扱いだった。カルガリーでは、失敗して良い成績を収めることは出来なかったが、切れの良い滑りは健在で、彼のことをボイタノの後継者だと言う人もいた。

だが、その後少し伸び悩んだ。世界選手権などの国際大会に、アメリカ代表として毎回出場していたが、メダルには手の届かないところにいた。常に世界でベストテンに入る力は持っているのだが、目立つ存在にはなれない。フィギィアスケートは、ネームバリューが大きく物を言う世界だし、彼もこのまま消えてしまうのかと、月日の流れと共に思わずにはいられなかった。


カルガリーから四年後、ボイタノが去ったアルベールビルにアメリカ代表が三人出場した。若手のホープであるトッド・エルドリッジ、順調にキャリアを重ねてきたクリストファー・ボーマン。ポールはここでも第三の男だった。
 だが、蓋を開けてみたらどうだろう。オリンピックの大舞台でのプレッシャーからか、有力選手にミスが続出した。そんな中で、ポールはオリジナルプログラムをほぼノーミスでまとめて三位。続くフリーでは、ミスのない優雅な滑りで、二位まで登りつめた。観客の拍手は、優勝したペトレンコより多かったほど。エキシビションでも、女子銅メダルのナンシー・ケリガンとペアスケーティングを披露したりして、観客から万雷の拍手を浴びていた。ポールは、観客を引きつける不思議な魅力を持っていた。
長い下積みを経たポールは、アルベールビルで花開いた。彼は、今までで最高の演技をオリンピックでやってのけた。滑り終わった彼の顔には、心の底からの満足が表れていた。





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