勝手に大草原

2001/5/7
ビードゥル先生の金時計


 さあメアリー、お茶とお菓子をおあがりなさい。
 今日は南北戦争のことで教室を騒がせてしまったわね。でもあなたが興味を持ってくれて嬉しいのよ。
 何から話したら良いのかしらね。南北戦争はずっと前のことだけれど、私にはついこの前のことのように感じるのよ。
 私の父はね、北軍の大佐だったの。父の安否と北軍の動向はいつも私の最大の関心事だった。私にとって北軍こそ正義で、南軍は差別論者の固まりの悪者集団だったの。だから北軍の勝利は当然のことだったし、南軍は自業自得だと思ってた。
 父が無事に帰還してまた平穏な日々が戻ってきた。お友達のお兄さんで戦死した人もあったけれど、私の家族は皆無事で私にとって戦争はすぐ過去のものになったのよ。


 あれは何年か経った後だった。私が家に戻ると、父が居間の椅子に座っていた。何か紙を握りしめていて、放心したように座っていた。私はすぐに駆け寄った。
「お父様どうなさったの。何かあったの」
 父は私の声でこの世に呼び戻されたように私を見た。
「ああ、イブ」
 私は父の握りしめている紙を見つめた。
「何の知らせなの。良くない知らせなのね」
 父は自分が紙を握りしめたままなのに気づいたみたいだった。
「そう、悲しい知らせだ」
「どうしたの。何があったの。叔父様に何か?」
「いや、違う。フィリップは無事だとも。これは違うんだ。ジェームズが・・・」
 ジェームズと聞いてもピンと来なかった。
「どなたなの」
「ジェームズだ。ジェームズ・トンプソン」
 父はそこで顔を覆った。
「まあ、トンプソンさん。ご病気なの」
「いや、亡くなったんだ。病気で。ああ・・・」
 私は父を抱きしめた。
「お気の毒に。名前しか知らないけれど、大事なお友達だったのね」
「親友だったんだ。ジェームズ・・・どうして・・・」
 父は涙にくれたあと、机に置いた封筒の中から懐中時計を取りだした。それはいつも父が身につけている金の懐中時計とそっくりに見えた。
「お父様愛用の時計ね」
 父はふたを開けて私に差し出した。中には字が彫ってあった。

 ジェームズ・トンプソンへ。一生の友人ローレンスより。

「私が彼に贈った物だ。彼も私に同じ物を贈ってくれた」
 そう言って父はいつも身につけている時計をポケットから出した。二つはそっくり一緒の外見だった。
「彼の形見として送られて来たんだ。皮肉なものだ。また私の手元に戻るとは」
父は二つの時計をそれぞれの手にギュッと握りしめた。
 私は父の側の椅子に座り、時計を持つ父の手に自分の手をそっと重ねた。

 父はポツリポツリと思い出を語り始めた。
「私とジェームズとはずっと昔、ウエストポイント士官学校の同期生だった。私たちは同室ですぐ仲良くなった。ジェームズはヴァージニアの資産家の息子で、とても気の良い男だった。学業も優秀で、統率力にも優れていた。ウエストポイントは厳しかったが、私たちは自分たちが新しいアメリカを築くんだという理想に燃えていた。卒業の時、この時計を贈りあったんだ」
 父は再び手にした時計を見つめた。
「卒業後は私は西部の任地を転々とした。ジェームズの方は、2つ3つの任務をこなした後父親が亡くなり事業を引き継ぐことになって軍人を辞した。会う機会は滅多になかったが、私たちは頻繁に手紙のやりとりをしたものだ。そして彼がアイリーン、美しいアイリーンと結婚したとき私は付き添いを務めた。程なく私がおまえのお母さんと結婚したときは、ジェームズが忙しい仕事を放って飛んできてくれて付き添いを務めてくれた。私たちの一番幸せな時代だった」
 父は遠い物を見つめているかのように話に熱中していた。
「だが家庭を持ち、お互いの生活が忙しくなってからは会う機会もほとんどなくなってしまった。そういう時期だった。仕方ないことだった。だが、ジェームズの時計と一緒にいるということは彼と一緒なのと同じだったよ。彼の方も私の時計を身につけていてくれたのだ、と今知ったよ」
 ふたを閉めた時計はどちらがどちらなのかわからない。私が物心付いたときから父はいつもこの時計を身につけていた。とても大事にしていて、私にも触らせてくれなかった。この時計は父の聖域だった。
「戦争が始まったとき、真っ先に思ったのはジェームズのことだった。彼は南部人だ。彼の住む南部と戦争になってしまった。無論私は北軍の人間で勝利を目指していた。だが、南部を憎むことも出来なかった。一度ジェームズの家を訪れたことがあるが、緑豊かで閑静な土地だった。住んでいる人々は皆親切で、楽しかった。何故それなのに南部人というだけで憎むことが出来ただろう。それでも私は軍人だ。命令なら戦わねばならない。ジェームズに手紙を出してみた。今度のことは残念だ、と簡単な返事が来ただけだった。戦争が始まれば彼の事業も痛手を被る。忙しいのだろうと思った。唯一の救いは彼が軍人を辞めていたことだった。彼のいる隊と戦うことが万が一にでもあったらたまらないからね」
 私の脳裏に戦争の頃の記憶が蘇った。南軍は私には未知の悪玉だった。でも父にとっては愛する人のいる土地だったのだ。
 「戦闘が厳しさを増して、私の部隊も疲労を重ねていた。だが、勝つことを信じていた。南軍も疲弊していた。私は兵士に老人や少年が混じるようになったことに気が付きだしていた。それだけ追いつめられているということだ。そして運命のあの日、激しい戦闘が起こったのだ」
「お父様がグラント将軍から勲章を受けた戦闘のこと?」
「そうだよ。あの戦闘の激しさは口では言い表せない。南軍は必死の抵抗を試みていた。降りしきる弾丸の雨をもろともせず進んできた。敵ながらあっぱれだった。だが地獄だった。すぐ隣にいた兵士が次の瞬間には頭を打ち抜かれている。あちら側では瀕死の兵士が血みどろでうめき声を上げている。軍医や衛生兵がどんなに駆けずり回っても、負傷者は次々増える。勿論戦死者も。この世の地獄とはあのことを言うのだ」
 父がこんなに生々しく戦争のことを語ったのは初めてだった。父から聞く戦争は、紳士揃いの将校と規律正しい上下関係と、馬に乗って駆け回る勇姿だった。戦争で血が流れることはわかっていたつもりだったのに、私は心のどこかでそれを忘れて戦争を美化していたことに気づいてショックを受けた。
「長い闘いが終わって我々が勝った。それは我々の兵力が勝っていたから、ただそれだけの理由だ。生き残った南軍兵士が捕虜となるべく集められた。敵の上級将校にはそれなりに礼を尽くすため、私が会うことにしていた。大尉がひげ面の男を連れてきた。
『南軍の大佐を連れてまいりました』
テントから出た私の目に映ったのは髭もじゃの男だった。髪もぼさぼさに伸びていた。だが、外見がどんなにくたびれていようとも、あの海の底のような瞳は忘れることは出来なかった。ジェームズだった」
「まあ、お父様」
 私は息を呑んだ。
「ジェームズだったのだよ。私はしばらく口が利けなかった。
『久しぶりだ、ローレンス』
彼の方から言った。
『何故だ、何故君がここに』
私がやっと発した言葉はそれだけだった。
『召集されたんだ。遙か昔の軍人までね』
『知らなかったよ。それもこんなところで会うとは』
彼と戦っていたのだ、と気づいたときの私の恐怖は何と表現したら良いのだろう。背筋が寒くなる思いだった。
『私は知っていたよ、ローレンス。君が指揮する隊と戦うことになるのは』
この言葉もショックだった。だが私も年季の入った軍人だ。命令とあらば相手が誰でも拒否できるはずない。私たちはしばらくお互いの近況を話し合った。今終わったばかりの戦闘には触れなかった。思い出すのは共に過ごした日々。一瞬の間だけ私たちは戦場から懐かしいウエストポイントの校舎に戻っていたんだよ。やがて彼は連れて行かれることになった。
『ジェームズ、すまなかった。君がいるとは知らなかったんだ』
私の口から出たのは軍人としてあるまじき言葉だったかもしれない。だが、本心だった。これは北部と南部の戦争だ。私とジェームズの間の戦争では断じてないんだ。
『それが戦争さ』
ジェームズはそう言ってにやりと笑った。髭もじゃで薄汚れてはいても、昔のままの笑顔だった。そして取りだしたんだよ。この時計を。彼は私の贈ったこの時計を持って戦っていたんだ。そして私も自分の時計を取りだした。二つの時計は、長い年月を経て、戦場で再び出会ったんだ。そしてそれが彼に会った最後だった」
 父は大きな大きなため息をついた。
「戦争はジェームズからすべてを奪ったんだ。彼の事業はつぶれ、彼の愛するアイリーンは、南部の崩壊を己の目で見つめジェームズの安否を知らされないまま病の床で亡くなった。誰も迎えてくれる者のいない故郷に帰った彼は、荒れた生活を送るようになった。彼を訪ねたいという私の願いは聞き入れられることはなかった。彼は私が北軍だったことを責めたことはなかった。むしろ自分は何のために戦ったのか疑問に思っていたようだった。その答えを見つけられないまま、彼もまた崩壊していったんだ・・・」
 父はそれきり黙ってしまった。彼の両の手に握られた古い時計は、鈍い輝きを放っていた。


 ねえ、メアリー、戦争に良いか悪いかなんてないのよ。どんな意見の相違があろうとも昨日の友と戦わねばならない戦争なんて間違ってるわ。私はそれを知って欲しかったの。北軍が勝ったから正しいことのように思われるけれど、父は自分が正しかったなんて思ってなかった。ただ悲しんでいたの。
 私が教師として西部に発つ日に父は言ったわ。
「歴史を教えるときには思い出して欲しい。私とジェームズのことを。2度と戦争など起きない世の中を作ってくれるように子供たちに教えて欲しい」
 父? 父は何年か前に亡くなったわ。これが父の形見なの。ジェームズから贈られた時計。父がいつも身につけていた物よ。ジェームズが身につけていた時計は父の棺の中に入れたわ。いつも一緒にいられるように。
 天国で父とジェームズは若い頃のように駆け回ってると思うわ。父が最も愛した幸せだった時代に戻って。




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