予告殺人

A Murder is Announced

アガサ・クリスティ
Agatha Christie

早川文庫
おすすめ本
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2004/9/20

小さな田舎町チッピング・クレグホーンのローカル新聞「ギャゼット」紙にある日衝撃的な広告が載った。「殺人お知らせ申し上げます。10月29日金曜日、午後6時半より、リトル・パドックスにて、お知り合いの方のお越しをお待ちします」。この広告を目にした近所の人々は、殺人ゲームが行われるのだと思い、いそいそその時間に出かけていく。ところが、リトル・パドックスの女主人であるレティシア・ブラックロックは身に覚えのない広告にすっかり困惑する。同居している幼なじみのドラ・バンナーは不安になるし、同じく同居人の親戚の若いパトリックとジュリアのシモンズ兄妹も、下宿人のフィリッパ・ヘイムズも全く知らないと言う。メイドのミッチーは、戦時中に命からがら中央ヨーロッパからイギリスへと渡ってきたこともあり、戦時中の敵が殺しに来る!とわめく始末。そんなリトル・パドックスの人々の困惑をよそに、続々近所の人は集まってくる。退役したイースターブルック大佐とその妻ローラ。スウェッテナム夫人と息子のエドマンド。養鶏を営んでいるピンチクリスとマーガトロイド。そして、牧師の妻のバンチ・ハーモン。時計が6時半を打ち鳴らした時、銃声が響く・・・。


いきなり新聞に載った「殺人予告」の広告。よりにもよってそれを見て集まってくる近所の人々。どれもこれもちょっと尋常ではない設定の中で、お遊びと思われたその運命の時間に本当の殺人が起こってしまいます。狙われたのは、リトル・パドックスの女主人レティシア・ブラックロック。果たして犯人は誰なのか?さして財産家とも言えないレティシアを狙ったのは何故なのか?その場に集まっていた誰もが犯人の可能性があり、しかし何の動機も考え出せないまま、過去のもつれた糸が少しずつ少しずつほぐれていくその面白さ。日常のちょっとした道具のあれこれや、ファッションやお料理や、とにかく普段目にしている当たり前のことを小道具に使っている心憎い演出がまたこの作品の楽しみの一つと言えるでしょう。

60代を超したミス・ブラックロックはかつて有能な秘書として働いていましたが、病気の妹を看病するために仕事を退き、その妹を亡くしたために小さな田舎町に居を構え暮らし始めた人です。幼なじみだったドラ・バンナーの窮地を知って彼女を引き取り同居を始めます。さらに、今まで会ったことのなかった遠い親戚のシモンズ兄妹や戦争未亡人のヘイムズ夫人も加わり、生活は一挙ににぎやかになります。でも、レティシアその人はやや厳格でしっかり者ですがおもしろみのある人とは言えません。そんな彼女が悪戯で殺人パーティなど企画するわけもなく、とにかく初めから困惑しきりの幕開けとなるわけです。そこに登場したのが、バンチ・ハーモンを訪ねてきたミス・マープル。相変わらずピンクの頬をして「ふわふわとした毛糸を幾重にも身体に絡ませた」この老嬢が、事件のもつれた糸を一つずつ解きほぐしていくのです。

古き佳きイギリスの田舎もすっかり変わってしまったとミス・マープルは嘆きます。昔は、誰がどこの家の何代目の人かなどが誰にもわかっていたもの。ところが今ときたら、どこから移ってきたのかわからない人が田舎に居を構え、どこどこから来ました、仕事は何々です、という本人の申告をただ鵜呑みにするしかないご時世。でも、果たしてそういった本人の口から述べる本人の素性は信用して良いのか?何だか現代社会の危ういご時世を既にこの時代に投影しているかのような話です。無理もありません。この話の中でも段々過去の出来事が明らかになり、ピップとエンマというきょうだいがレティシア・ブラックロックを狙っているのでは?という新しい疑念がわき上がります。そして、このきょうだいの母親や父親と疑える人々も周りにいる。今まで、誰々として知って来た人々が本当は全然違う人だったら?何だか疑心暗鬼に陥ってしまうような話でもあります。

とはいうものの、この話はかなり辛い過去が絡みます。「甘美なる死(デリシャス・デス)」という言葉が出てきますが、これはメイドのミッチが作るケーキのこと。これはもうこのケーキを食べたら死んでも良いというくらい極上のケーキなのです。ミッチ曰く「おいしくてこってりして、舌もとろけそうなほどリッチなケーキ。ケーキのまわりにはチョコレートクリームをたっぷりのせて飾りますわ。イギリスの人ってまるで砂みたいな御菓子ばかり食べているけれど、きっとこんな素敵なケーキは食べたことないわよ。とっても美味しい!って皆さん言うわ」。本当にどんなケーキなんでしょう?

「はげしき苦痛を心強くも耐えにき」。人生に絶望し、社会の嫌悪を受けて生きてきた人間がやっと手にしかけた幸せの姿。それは思いっきり間違っているのだけれど・・・でも、何とも悲哀を感じずにはいられない姿ではありました。でももっと悲しいのは、単純でもそそっかしくても精一杯の愛と忠誠を捧げたその人の姿だったように思います。

☆ピンチクリフとマーガトロイドって、クリスティ作品ではちょっと異色な存在である気がします。自分たちで養鶏をしているご婦人たち。何をして暮らしているのかわからない男女が多数登場する彼女の作品の中ではしっかり地に足をつけて生きている女性たちですね。それから農園で仕事を貰って農作業や園芸作業をして生計を立てているフィリッパは完全にレディ扱いされて、リトル・パドックスで人々の食生活その他の面倒を見ているミッチがメイドとして完全に見下されているのは正直あまり納得行かないです。フィリッパの仕事がどうのこうの、というのではありません。勿論立派な仕事なのです。特に園芸を重要視するかの国では。でも、ミッチの仕事だってそれに負けない立派な仕事でその仕事でお金を得ている働く婦人であることは間違いないんですよね。おまけにミッチは本人曰く自分の国では大学にも行ったけれど、戦災によって逃げ出すしかなかった可哀想な人の筈。クリスティ作品に於ける「ああいった身分の人たち」と称される人たちの扱いについて改めて考えてしまう話でもありました。


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