ビャチェスラフ・ザイツェフ

2003/10/26
ビャチェスラフ・ザイツェフ  Vjacheslav Zajtsev
1952年11月12日 ソ連  191cm

1970年代から80年代にかけてソ連がもの凄く強かった時、チームに君臨した中心選手です。ソ連の選手は宝石のごとく揃っていましたが、その選手たちを束ねたのがセッターだったザイツェフ。世界一のセッターの名を欲しいままにしたのも当然のことでした。
その昔、日本の誇るミュンヘンの金メダルセッターである猫田勝敏氏と世界一のセッターの名を競ったこともありました。当時はベテランの猫田に対して、それに挑む若手セッターの図式であったことでしょう。その猫田氏の没後、はるばる彼の故郷広島まで墓参に行ったり猫田氏の奥さんにとても丁寧な態度を見せていたり、とても紳士的で情に厚いその姿勢に好感を抱いたものです。
バレーボールに於けるセッターの役割はとても重要です。良いセッターがいるかどうかでチームの力のかなりが決まるとも言えるでしょう。とにかくソ連は大男揃いで、オールラウンドで、高くてパワーがあってどこの国も寄せ付けない強さがありました。その彼らが縦横無尽に活躍出来たのも、彼らを操るザイツェフあってのことでしょう。世界一のセンターと言われたサビンと見せるクイックの早さと高さは溜息が出るほどです。ゲームの組み立ても完璧。キャプテンシーも完璧。知的な頭脳派セッターで人格的にも尊敬出来る人という評判で、まさに世界のバレー界に君臨する王様のような存在でした。そんなザイツェフもアメリカの台頭には苦しまされることになりました。ソ連が勝てなくなってきたのは(と言っても勝てなかったのはアメリカ相手だけでしたが)、ザイツェフが衰えてきたからだとも言われました。世界一のセッターの位置もアメリカのドボラックに並ばれましたが、やはりザイツェフの存在感は相変わらず抜群でした。それでもあまりに長い試合に疲れて、コートに座り込む姿は見ていて痛々しさも感じたものでした。
オリンピック、世界選手権、ワールドカップとタイトルを総なめにして、名声も手にして、尊敬されたままコートを去ったザイツェフ。コーチとしてロシアチームのベンチに座った姿も見ました。きっと監督として登場する日も近いでしょう。あの頭脳、才覚、人格全てをもって彼以上の監督適任者は考えられません。ザイツェフを思い出す時、頭に浮かぶのはあの温厚な笑顔。きっといつか彼の手でロシアにまた栄光をもたらすことでしょう。


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