アメリカを支えたパワーアタッカー
             〜スティーブ・ティモンズ

2002/9/15

スティーブ・ティモンズ  Steve Timmons
1958年11月29日 アメリカバレーボール選手  196cm


80年代に世界を席巻した黄金時代のアメリカ男子バレーボールチームのレギュラーをずっと担って来た1人です。84年ロサンゼルスオリンピック金メダル。85年ワールドカップ金メダル。86年世界選手権金メダル。この3冠を全てセンタープレーヤーとしてレギュラーとして出場し続けた、チームの大黒柱の1人でした。彼の持ち味はパワフルなプレーにあります。アメリカチームは完全な分業制を敷いており、バックアタックは彼とパワーズ二人の役割でした。勿論、センターとしてクイックやブロックにそしておとりにも飛んだりと活躍した上で、後ろに回ったらバックアタック。大変な活躍ぶりでした。ですから、彼が怪我で一試合休んだりするとどうしてもチームの迫力が低下するのも事実でしたね。

その格好良いルックス、そして独特のヘアスタイルから、日本でも大変な人気がありました。そして、彼は愛想が良くて親切なんですね。はるばる日本からアメリカチームの練習を見に行って声をかけた私に親切に対応してくれて、色々話をしてくれて、ついでにカーチ・キライのところにも連れていってくれました。とても優しくて細やかな心遣いが出来る人です。




88年にはソウルオリンピックで金メダル獲得。オリンピック2連覇。3大大会4連覇の偉業を成し遂げました。この時には、パワーズの引退で、スーパーエースのポジションを務めました。ちなみに一番地味なポジションだったセッター対角に、パワーあふれるスパイカーを置いて一番の得点源となるスーパーエースとしたのは、アメリカが最初なのです。

ソウルが終わってベテランは皆引退しました。私には黄金時代の終わりを告げる淋しい淋しい時でした。しかし、ティモンズはバルセロナ五輪で復活。34に手が届かんとする彼は、さすがに昔ほどのパワーは出せませんでしたが、チームの牽引車として若手を引っ張りました。結果、銅メダル獲得。オリンピックで3つ目のメダルでした。でも、彼は本当は淋しかっただろうな、と思います。仲の良かったカーチ・キライもクレイグ・バックも引退してしまったし・・・。特にバックは一緒にバルセロナにカムバックするつもりだったらしく、共にナショナルチームで練習を重ねていましたから。





頑張り続けたティモンズ。昔の仲間たちと名誉あるHall of Fameを活躍した時の記憶が新しいです。

彼曰く、昔はカボチャ頭で収拾がつかなかったから俗に言われるティモンズヘアにしたとのこと。でも、カボチャ頭の時の彼も可愛いです。

強くて格好良くて優しかったスティーブ。永遠に忘れられない私のヒーローの1人です。

左からティモンズ、ポーラ・ワイショフ、1人おいて日本の松平バレーボール協会会長、クレイグ・バック、ダスティ・ドボラック。


(C) 2002 Paonyan?. All rights reserved
Ads by TOK2