ウラジミール・シュクリーヒン

2003/10/26

ウラジミール・シュクリーヒン  Vladimir Shkurikhin
1958年7月26日生まれ 旧ソ連  200cm

ソ連は昔からバレーボールの強い国でした。世界一だったと言っても決して過言ではないでしょう。そのソ連もミュンヘンで日本に金メダルを奪われるなどはありましたが、しかしながらいつでもソ連はバレーの最有力国の一つであったことは間違いありません。そのソ連が70年代後半からまたまたダイヤモンドのような輝きを放った時がありました。天才セッターのザイツェフを軸に、センターのサビンやロオル、イエルミロフやセリバノフ、大人気だったドロホフなどを要した高さもパワーも世界一の強い強いチームを作ったのでした。
そのソ連で、ベテランが引退した後に出てきた若手選手がウラジミール・シュクリーヒン。200cmの大きな体にパワフルなスパイク、そしてハンサムなその容姿。多分初めて見たのは、81年のワールドカップかあるいはその頃の日ソ対抗だったと思います。シュクリーヒンという名前が覚えられず、「シュークリームみたいな人」と言ってましたっけ(笑)。その後日ソ対抗などで姿を見る機会が増え、シュクリーヒンは押しも押されぬソ連の大エースになっていきました。その大きな身体から打つバックアタックの威力は強力で、「世界一のバックアタッカー」という異名を取りました。ワールドカップ、世界選手権で金メダルを次々に取ったものの、次のロサンゼルス五輪、ワールドカップ、世界選手権、ソウル五輪と全てアメリカの前に負けて、アメリカファンの私はとても嬉しく・・・でもちょっとだけ複雑な気もしたものです。シュクリーヒンはモスクワ五輪のメンバーには入ってなかったから、オリンピックの金メダルを持ってなかったんですよね。
選手としての後年、実はちょっと太ったけれどスパイクの威力はやっぱり超一流。アメリカのティモンズやパワーズとバックアタック合戦を繰り広げていましたっけ。
その頃、ソ連選手のプライベートはあまり伝わらなくて、本当にテレビまたは会場でバレーを見るだけの存在でありました。そんな彼に85年のワールドカップで、サインを貰ったのはとっても良い思い出。何かしゃべりたくても勿論ロシア語はわからず、でも身近で見る彼はやっぱりハンサムで微笑んでいましたっけ。ソ連選手は、誰と誰が仲が良いっていうのがはっきり決まっていて、ホテルでもいつも仲良し同士が一緒の部屋と決まっていたとか。シュクリーヒンの大の仲良しは同じエースのパンチェンコでした。二人でエースポジションを務め、セッターがザイツェフ、センターがサビン。強かったソ連の思い出の姿の一つです。
今どうしているでしょう。「シュークリームみたいな人」なんて呼び名はもうとっくの昔に卒業しました。いつかソ連、いやロシアのコーチ陣の一人として登場してくれると嬉しいけれど、彼は結構おとなしそうだからスタッフには向いてないのかも。
青春時代の楽しい時期を輝かしてくれたシュクリーヒン。どうぞ今もお元気でお過ごしであることを祈っています。




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