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若者へ贈る

自分を知る事の幸せ

黄金華咲く

お釈迦さまが、王宮に何不足な

く、お暮らしになられていましたが
 お釈迦さまが、王宮に何不足なく、お暮らしになられていましたが、み佛の力により、生老病死の「四苦」を見せつけられ、はじめて、人生の求める心、「発心」を起されましたそうです。
お釈迦様に限らず、人間が此の世に生を受けられたその意味は、神もしくは佛なるものを知る事、自分とは如何なる者で、何の為に生を受けたか。それを切っ掛けに本当の生き方が始るのだとおもいます。

生長の家相愛会板橋謹製

世の哲人と云われる人々も、皆同じ満たされない思いだった。

、私は存在する。だが私は存在理由を見つけたいのだ。なぜ私が生きているのか知りたいのだ。
ジード

、私は早く死にたい。私は老人になりたくない。
バイロン

、ああ、滅びるものは滅びよ。崩れるものは崩れよ。そして運命に壊されぬ確かなものだけ残ってくれ。私はそれをひしとつかんで墓場に行きたいのだ。
倉田百三

・天地の運行、自然の変遷(地殻の変動も含め)自然の変化は我々人間社会の変動と次元もサイクルも異なるもので或る
この辺りはお判りいただけると思います。


天地開闢以来、天文学的な年数が経っていますが、我々人間が肉体生命を地上に出現させてその栄枯盛衰と云えども、自然のサイクルとは桁外れに次元が違うものです。

同じ時代、同じ環境にいても、ある人は、守護霊に守られ、ある人は、中々人生が思う様に行かない。
人間は全て神より生を受けたるもの成れば、本来、同質のもの、しかし、人間には魂の無限進化が存在します。人間は輪廻と言うものがあり、魂の若い者は、人間の何たるを良く理解していません。


それを理解するのが、人間のこの世に生を受けた理由です。輪廻を通して無限成長をするのです。一回地上に出現しただけでは、聖人でも無ければ難しい事だという事はお判りだと思います。


もう一つは、魂の成長途中の多くの人間は、自分と言うものの、存在を霊的存在と云うより、より肉体こそ我であると認識しています。ですから魂が若い程(肉体の若さでは有りません)五欲が強いようです。(食欲、睡眠欲、性欲他)

魂が成長する度に五欲は薄まります。そして、我の存在は肉なり、と言う意識が強いほど、肉体は不完全な物故、人間は不完全な物、罪を犯す者が人間である。その罪意識が、強い程、自己を苦しみの世界へと誘うのであります。


それが潜在意識の働きです。人間が罪を犯すのも、災難につきまとわれるのも、全て人間の深層心理・潜在意識の働きです。
この潜在意識は個々人が持ち合わせて居ますが、此の潜在意識は底辺で多くの人間の認識としてオーバーラップして居ます。
これを人類意識といいます。(この人類意識の集積した罪意識こそ戦争や、テロ、大災害の原因であります。)

信仰深い人間ほど、罪意識が強いことは、何となくご理解できると思いますが。まだまだ、深い問題があり、終章はまだまだ先です。

最後に、一番の早道は「生命の實相」と言う御著書お読みに成られれば何の訳も無いことなのです。


・霊的な人間(神の子)の悟りをお持ちの人は、どんな災害も、因縁も超越し得る。
これは、短兵急な事に成ります。長距離ランナーが、功を焦り、突然短距離ランナー並みのダッシュをする様なもの。

宗教で最も、難しく説明し難い問題です。
こんな言葉があります。
「無門関」の第二則に
『大修行底の人、還って因果に落つるや、また無しや』
この意味は大変な修行を積まれたお方も因果の法則に落ちるのでしょうか。  また、因果の法則を超越するのでしょうか。
と云った禅宗の問答です。
ヨハネ伝第三章に
『人あらたに生まれずば、神の国を見る事能わず』
と言う言葉があります。
これは人は生まれ変わらなければ神の国の素晴らしさを体験する事はできない。
と言うことです。


中々信仰の深遠な部分で、一夜漬けでは理解は難しい事です。
人間をどう云う風に認識するか。
肉体こそ、人間である。と見るか、
霊こそ、人間である。
と見るかで、
大きく変わって来ます。
実際に

霊的な人間(神の子)の悟りをお持ちの人は、どんな災害も、因縁も超越し得る。
のかと言えば此処で一変に説明することは、
読む側も書く側も、余りにも、未熟で、
下手をすると、
永遠に誤解を与えることになります。
多くの信仰者が、何百年も悩んで居ることです。
小生が簡単に書いてしまえば、
宗教や哲学を軽んじて居ることにもなり得ます。
追々書く機会が有れば、何らかの形で書くかも知れませんが、
正解は各人の心の中にあると言えます。
貴方は『人間を(又は自分を)肉体だと見ますか、または、霊的存在だと見ますか。』
その答えに読者がどちらに○をつけるかによって、真実がわかると言えます。
兎も角、大変興味深く、難しい話です。

今、東京のお台場や、渋谷では、若者達のイベントや、様々な流行が、闊歩しています。そして世界の目がマスメディアを通して、日本の目まぐるしい変遷振りを、驚異と羨望の目で眺めています。しかし、それが、本当の日本の良さでしょうか、世界中の人間の目指すべき幸せなのでしょうか。私は疑問に思います。多くの若者が、刺激の多い、商業主義のペースに踊らされて居るに過ぎないと思います。流行りモノは廃りモノと云います。やがては、多くの若者が失望して、次の刺激を求め放浪するのが見える様です。人間の幸せも、生き甲斐ももっと多様で素晴らしいものだと思います。

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