私は日本を限りなく愛する。私は限りなく愛国者であることを欲する。こう云う言葉は真に日本を愛しない非愛国者から憎まれるかも知れない。
憎まれても好い。
私は限りなく日本を愛し、日本的なるものを愛するのである。
兎も角も日本国が地上にいつの時代からか存在し、神が日本人なるものを此の地上に生んだことは、何か日本国なるものや、日本民族なるものに特殊の使命が与えられているのだとと考えざる得ない。特殊だと云っても必ずしも、日本民族が他民族に優れていると云うのではない。
ささやかな梅の花にも梅の花としての特殊の美しさがある。
(略)吾々は「日本的なもの」を肯定し、又は否定するまでに、「日本的」とは如何なるものであるか、その前提をハッキリさせて置かなければ「日本的なもの」を排斥しても肯定しても、何を排斥するのか肯定するのか判らないことになると思う。
(略)
キリストも云ったように「我が国は此の世の国にあらず」である…日本人であるところの「日本に生れた人間」の内部にある理想(これこそ本当の日本の国であり、「日本的なもの」である)
…その日本の魂が、今もまだ崩壊しつづけていると云うことは何と云う悲惨なことであろうか。私は限りなき悲痛をもって慟哭せざる得ないのである。
(「大和の国日本」引用)
戦後と云われる世代も過去のものに成りつつ有りますが、昨今内外の震災等の救済活動や復興活動で再びその日本的なるものが脚光を浴びつつ有ります。
吾々は「日本的なもの」を肯定し、又は否定するまでに、「日本的」とは如何なるものであるか、その前提をハッキリさせて置かなければ「日本的なもの」を排斥しても肯定しても、何を排斥するのか肯定するのか判らないことになると思う。
震災は時が経っても復興は中々思い通りには行きません。
人間の善意は時を経ると色褪せる事も有りますが、善き日本的なるものは風化させずに、醸成させて行きたいものであります。
●「真に日本的なるもの/英軍士官が知った日本精神」
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