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イマージュツアー21

グレートリバー物語り64

黄金華咲く

 グレートリバー、それは偉大なる大河。人間は三千年の歴史の中で、釈迦、耶蘇、マホメッドと、その他多くの霊的指導者、聖人を排出して来ました。その起源は一つの見えざる大いなる源泉で有る事は、疑い様の無いものであります。多くの支流、本流を伝えて、軈ては大河は、大海原に一つに注がれるものであります。生長の家は、開祖の谷口雅春尊師の、求道の末の「今起て!」の霊的な言葉に始りました。いま人類は多難な時代を目前にしています。世界的な経済難、災害、疫病、紛争。国際的救済機関が幾つ出来ても、人々の心が変らなければ、この難局は越えられないと云うもの。今こそ、あらゆる人々が万教帰一の元に人間愛で、救うべき大河となって、進もうではありませんか。

《真の人間》

従来から、仏教ではこの「真の人間」を観るということを修業の大目標においていたので、諸種の座禅観法も要はこの「真の人間」(生命本来の面目)を自覚せしむるにあるのであります。
般若心経」にある観自在菩薩のせられた般若波羅蜜の修業は、實に徹底した「神想観」の修業であります。
観自在菩薩はこの観法においてこの「真の人間」ほんらいの面目が、不生、不滅、不垢、不浄、不増、不減の光明生命であって、これのみが唯一の実在である。
したがって、それは病むことも死すこともない。そのほかのものは皆「無明(まよい)」である。
病気や死などというものはことごとく「無明」であって、存在しない。(略)
「無明(まよい)」はほんらい無いのだから、 「真の人間」を自覚しさえすれば、ひとりでに「無明」は消えると観ぜられるのであります。この徹底的な大々的楽観主義が釈迦の説教の骨髄を貫いているのでありまして、仏教をもって厭世教だというのは解釈をまちがえた一知半解の人のいうことであります。

長年人間をやって居ますとこの信仰の根本を忘れてしまい。
日頃のたわいがない、気楽な人生に落ち着いてしまい、丁度養鶏場のブロイラーのように「さて、次は何がやって来るか」と、何か詰まらぬ期待をしながら毎日を過ごして仕舞う。後々悔やむ、そんな事って有りませんか。私はそういう事も有ります。
この世に人間として生を受け、人間として真の有るべき姿を知り、また生きる。
朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。
いにしえの先人の覚悟は凄いものです。

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○世界平和の祈り

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板橋相愛会謹製

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