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イマージュツアー21

グレートリバー物語り6

黄金華咲く

 グレートリバー、それは偉大なる大河。人間は三千年の歴史の中で、釈迦、耶蘇、マホメッドと、その他多くの霊的指導者、聖人を排出して来ました。その起源は一つの見えざる大いなる源泉で有る事は、疑い様の無いものであります。多くの支流、本流を伝えて、軈ては大河は、大海原に一つに注がれるものであります。生長の家は、開祖の谷口雅春尊師の、求道の末の「今起て!」の霊的な言葉に始りました。いま人類は多難な時代を目前にしています。世界的な経済難、災害、疫病、紛争。国際的救済機関が幾つ出来ても、人々の心が変らなければ、この難局は越えられないと云うもの。今こそ、あらゆる人々が万教帰一の元に人間愛で、救うべき大河となって、進もうではありませんか。

恐竜闊歩の世界是か非か

小生の或るネット掲示板でのやり取りを掲載いたします。
信仰問題に対する疑問の一つで、小生の私見として聞き流してください。
プライバシーや、著作権も有りますので、小生の書き込みのみ記させて戴きます。

問い

地球の生物の歴史を調べると、いわゆる「恐竜」と呼ばれる生物が繁栄した時代は、
かなり長かったそうですが、「造物主」は、それを「良し」としたのでしょうか・・・?

返答に窮する小生

恐竜の世界を造物主は「良し」としたか。
と云う問いは、信仰を持つ者としては人生とは掛け離れた弄戯の類いにも感じられますが、真摯な疑問とお受け止め致しますれば、

神は天地の全ての物を創造され、「甚だ良かりき」と仰せられました。
神が「甚だ良かりき」と仰せられましたのは、
弱肉強食の修羅世界の事では有りません。
この質問は恐らく、人間にとっての神の存在についてで、
恐竜と人間生活に何の関わりが有ろうかと、
思わぬでも有りませんが、
もう一つは、神はどんな世界をお創造りに成られたかと云う事で。

旧約聖書に初めに光有り…
神光あれといい給えば
光ありき。
そして天地、自然、動物、植物、人間を創造為され、
「甚だ良かりき。」
と仰いました。
これは第一創造と言われています。
ところが、
その後、
エホバ神が現れ、人間を土にて創造なされ、
アダムと名づけ、そのあばら骨を取ってイブと名づけた。
と有ります。
これは第二創造と言われています。
本源神のお作りに成られた世界は此の
第一創造の世界で、神が
全ての物(人間も含む)を言葉(理念)で
お作りに成られた。
それが、潜在的な世界の出来事であります。
エホバ神と云うのは、
本源神では無く、物理的に理念の世界を
三次元に作り上げる創造的な働きを
するようです。
(私は不勉強なもので、ここまでしか今は説明できません。)

第一創造で、本源神は
「甚だ良かりき。」
と申しました。
それが實相世界です。
物事を創造するものは、
心です(人間的な心では有りません。)
第一創造も神の心によるものです。
(積極的に現し出そうとする)
そして、
第二創造は迷いの心
マイナスの心による創造です。
迷いとは本来無いもの、
負の唯物的な心です。
奪う者は奪われ、
弱肉強食の有りの世界観です。
人間の存在する以前の時代、
果たして此の世に「心」が
存在するか。
心は肉体人間にだけ存在するという
限定して考えれば、成り立ちません。

本源神の神、
またその世界。
迷い(無明)による世界の
存在により、
様々な事が考えられます。
此処だけで、
結論付けるのは
非常に無理があります。

全てのものは偶然と言う事はありません。
さいころを投げても、何らかの結果を得る原因が在る訳です。
知性の無い鼠が人間に成り得る道理は無いと思われます。
人間には人間の知性、尊厳を受け継ぐべき、ものが有った訳です。
鼠は一億年経っても恐らく鼠のままで、人間に成りかけの鼠(ねずみ男)
は寓話の世界の話だと思います。
進化論を真理そのものと勘違いする傾向は有ると思います。
先祖を敬うと言うことが、鼠を敬うことと同義になっては、人間の
尊厳もありはしないと思います。
日本民族に誇りをと考えても、どうせ先祖は鼠か、と考えれば決して、
民族への誇りも、人間として生を受けた感謝も浮かびません。

造物主に「試行錯誤」はありえないと思います。
貴掲示板の「神とは?」の此処に原点があると思います。
間違いを犯す神=神も不完全なもの。ここに到達することは
目に見えます。でもそれは当然な考えかも知れません。
生長の家の創始者でいらっしゃいます。谷口雅春尊師も、生長の家を始められる以前は、現象の世界の余りにも矛盾した事実に、神に対する不信感を持たれ「神を裁く」という御著書をお書きに成られました。その「神を裁く」の発行を待たず、関東大震災の被災をお受けに成られました。その後、師は神戸で神より啓示をお受けになられ、人間に罰を与えるような神は存在しない。人間は皆神の子で罪は無いんだ。ということを悟られ、布教にあたられました。

中間形態」がなかなか見つからないなど
中間形態(例えば鼠と人間の合いの子、とか猿と人間の合いの子)
奇形は別として、中間形態の生物は神の理念の世界には存在しないと言う事だと思われます。
存在しないものは出てこないのです。
私が思うのには
神の理念の世界があり、
SF映画のテレポート(物質転送)のように
ある日突然、地上に現れるのだと思います。
非現実的だと言われるでしょうが。
因果の因は、理念の世界に存在し、因果の果(結果)
は現象世界に立体カメラの様に突然現れる。
マジックで云えば、
「これはタネが無いじゃないか」
と言われるかも知れませんが。
タネは「霊的世界」で
「現実世界」へ現れ出る。
考えてみれば、
UFOもその類ですね。
目に見えない世界を信じるか、
タネが見えなければ信じないか。

自分のお母さんが、
あなたを出産された現場を
目で見て「ああ、これが我が母だ。」
と認められましたでしょうか。
肉眼で地球が丸いのをご覧になられましたか。
人生の多くが、「信じる心」によって成り立っています。

生めよ、
増えよ、
地に満てよ
と為された同じ方が、
自分の生み育てた、
生き物達を
果たして絶滅にまで
追い込んだり為さるでしょうか。
出来の悪い子程可愛いそうです。
ただ、別の視点から
肉体生命が滅ぶ事が
必ずしも悪とはいえないと
思います。
ある種の生命が我がままし放題な場合
無軌道に増殖した場合
自滅する事は
大自然の調和の摂理が
働くかも知れません。
生物の種は
初めが多く
環境に適さない場合
自然淘汰され、減少して行くようです。
絶滅品種と
良く耳にします。
自然淘汰が残酷かは
人間的な考えのような気が
致します。

此の世界はあらゆる生き物に満ちた生命進化の世界です。(ダーウインの進化とは意味が違う)原始の地球はご存知の通り、大気の組成から全てのものが荒々しく粗野でした。
そこで生き抜く為にはそれに適した能力が無ければ生き抜けられません。強い物が生き残る世界です。
神は万物が調和し、生かし合う世界を造られました。確かに矛盾して居ますが、そこに多くの誤解が有る訳です。聖書に獅子と羊が戯れ、人間の幼児が蝮の巣に手を差し入れても何も起こらない世界が書いて有るそうです。これは単なる願望の世界では無いのです。所謂、第一創造(神による真の創造)第二創造(業による物質生成)霊の世界は永遠ですが、目には見えない。一方物質の世界は争いや滅びの有る世界。有るように見えても、いずれは滅び去る世界。盛者泌滅の世界です。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の華の色、盛者泌滅の理を現す。奢れる者も久からず、春の夜の夢の如し、猛き者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
現象世界は、因果応報の世界です。仏の世界、神の世界を成就するのが信仰の世界、また使命です。
恐竜の世界は、生命生成の一大ドラマの一過程であり、真の神の創造された世界では無く、迷い(有るように見えても本来無い、滅びの世界)なのでしょう。(考古学者には通用しない世界です。)

(↑祇園精舎の鐘の音のサイトを開いてみませんか)



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○世界平和の祈り

此のページは只今制作中です。

板橋相愛会謹製

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