人間とは如何なるものであるか、
と云う疑問を持つ方も多いことでしょうが、
この問いの対象的なものとしては、
神とは如何なるものか、
と云う問い掛けになると思います。
ご存知の鮭が遡上して、
生まれた母なる川を求めて回遊するのと同じ様に私達が神に憧れ、
求めんとするのも、私達のDNAの為せる業なのかも知れません。
そのような事を明確にする事は或考え方からすれば
僭越とかタブーと考えられる事も有りますが、
私達は人間であると云う事は知性のほとばしりとして、
極めたいのは自然な事なのだと思うので有ります。
尊師谷口雅春先生は生涯神を追い続けて来られた
希代の求道者でいらっしゃいました。その究極が、
神の実在する事の発見と、全ての人間が神の子であったと言う事。
あらゆる宗教の根本は一つに帰一すると言う事でした。
でも、世界中に幾百の宗教があると言う事は神と言う存在も複数有る事で、
矛盾すると多くの方が捉えました。
この図では説明が足りませんが簡易に説明の為に掲載いたしました。
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師は「一即多」と言う事を教えて下さいました。
本元の神は一つであり(第一義の神)その神の救いの霊波が、
様々な人類救済の方便身(第二義の神)として、
様々な時代、様々な地域の霊的指導者に天下ったのである。
とおっしゃいました。沢山の姿に見えても、一つである。
一つの様で、救いの形は様々である。
花の概念は一つでも、実際に咲い出る姿は、
櫻であったり、向日葵であったり、薊であったり、
違う様で、花の命としては、一つ、美しさは百様。
そして日本で言う神とは隠れ身(かくれみ)幽か身、
と様々な意味あいを持ち、高級霊、神社等に祭られる人間の霊魂も、
守護神、守護霊も、自然霊も、動物霊も、
人間も神(第三義の神)とされる。
ですから日本では八百万の神と申されます。
沢山現われていて、大本は一つなのです。
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