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イマージュツアー21

グレートリバー物語り26

黄金華咲く

 グレートリバー、それは偉大なる大河。人間は三千年の歴史の中で、釈迦、耶蘇、マホメッドと、その他多くの霊的指導者、聖人を排出して来ました。その起源は一つの見えざる大いなる源泉で有る事は、疑い様の無いものであります。多くの支流、本流を伝えて、軈ては大河は、大海原に一つに注がれるものであります。生長の家は、開祖の谷口雅春尊師の、求道の末の「今起て!」の霊的な言葉に始りました。いま人類は多難な時代を目前にしています。世界的な経済難、災害、疫病、紛争。国際的救済機関が幾つ出来ても、人々の心が変らなければ、この難局は越えられないと云うもの。今こそ、あらゆる人々が万教帰一の元に人間愛で、救うべき大河となって、進もうではありませんか。

《心貧しい?》

心貧しい
イエス群集を見て、山にのぼり、座し給えば、弟子達御許にきたる。
イエス口をひらき、教えて言いたまう。
「幸福なるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり。」
(「マタイ伝」第五章)
これは「山上の垂訓」といって、有名なところでありまして、
イエスがヨハネに洗礼を受けてから、
ヨルダン河の畔で四十日四十夜断食をして座っておられましたが、
いよいよ霊覚を得て悟りを開かれた、
その悟りの心境をば初めてここで説教された最も重要なところであります。
「幸福なるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり。」
というのはどういう意味であるかと申しますと
「心の高慢でないもの」という意味であります。
高慢でないことを「生長の家」では「心が貧しい」
という言葉を使うのであります。(生命の實相第三十巻)引用

貧しいというと一般的には経済の事を考えてしまいます。
我々人間は幼い頃から、様々な処世術を身につけ、
頭の中が姑息な「人間的知恵」で一杯になっています。
神様の知恵を授かろうにも、頭の中が人間的知恵で満たされて居て
「高慢」でいては、神様の知恵が流れ入る隙間が有りません。
水の一杯入ったコップに新たに水を入れようにも
一向に入らずコップの縁から、
溢れでます。

此処で云う「心貧しい」と言うことは、
心が空っぽで、
高慢な賢しい知恵が無い、
心が素直だと言うことです。
幼子(おさなご)のような
純粋な心を云い
そんな人こそ
天国に入るに相応しいと云う事でしょうね。

幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。
こう書いてあります。
柔和なる者というのは心が尖っていない、心がまん丸く穏やかに調和している人のことをいうのであります。「生長の家」はこの大調和の心を得るということを強調しているのでありまして、「生命の實相」の巻頭にある「汝ら天地一切のものと和解せよ」というあの神示は、要するにこの柔和の心の徳が説かれているのであります。
「地を嗣がん」とは神の恵みを受けて栄えるという意味です。
またキリストは「鳩のごとく穏やかであって、蛇のごとくさとくあれ」と別のところでは言っているのであります。
つまり時に応じてその柔和の相が変わってこなければならない、これもやはり所を得るということが必要なのであります。「生命の實相30巻より」
信仰をお持ちの方は概ね柔和な人柄で、それこそ非の打ち処の無い様な方が多い故、思わず足元を掬われる事もあるようです。善良な者が馬鹿を見ると言う事は何処か理に叶わない事が有るのかも知れません。

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○世界平和の祈り

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板橋相愛会謹製

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