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イマージュツアー21

グレートリバー物語り21

黄金華咲く

 グレートリバー、それは偉大なる大河。人間は三千年の歴史の中で、釈迦、耶蘇、マホメッドと、その他多くの霊的指導者、聖人を排出して来ました。その起源は一つの見えざる大いなる源泉で有る事は、疑い様の無いものであります。多くの支流、本流を伝えて、軈ては大河は、大海原に一つに注がれるものであります。生長の家は、開祖の谷口雅春尊師の、求道の末の「今起て!」の霊的な言葉に始りました。いま人類は多難な時代を目前にしています。世界的な経済難、災害、疫病、紛争。国際的救済機関が幾つ出来ても、人々の心が変らなければ、この難局は越えられないと云うもの。今こそ、あらゆる人々が万教帰一の元に人間愛で、救うべき大河となって、進もうではありませんか。

《喜怒哀楽》

ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。(中略) 御釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがて陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。

このストーリーは誰もがご存知の作品、芥川龍之介著「蜘蛛の糸」でございます。人間の心は皆潜在意識で繋がり、リンクして居るそうです。ですから、家族どころか他人にしましても、何となくその心が判ってしまうと云う事です。ここで現れて居られる御釈迦様は本当の御釈迦様では無い訳で、著者が造り上げた御釈迦様の姿であります。
意外と世間の方で、お釈迦さまはこのように喜怒哀楽を余り面にお現しに成られない非人間的で、人間的な感情を越えた人物の様に考えられて居る様ですが(小生の思い込みかも知れませんが。)もっと人の心を深くご存知の慈悲深いお方だと小生は思っています。

陀多の無慈悲な心が、浅間しく思召されたのでございましょう。と、この思召とは著者の心そのもので、その自分の心がやり切れなく成られたのではないでしょうか。人間は道を極めて賞賛の的に成っても、心の中に人間不審が払拭されないと、本当のしあわせには届かないのではないでしょうか。
しかし、このような人間観、人生観、御釈迦様不審?は読む人々に矢張り、人生不審、人間不審、神仏に対する不審感を醸成する温床と成る訳であり、情報発信を志す者としては、心すべき事かも知れません。

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○世界平和の祈り

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板橋相愛会謹製

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