鋼の聖母(マドンナ)
鋼のジャンヌダルクシリーズ完結篇 「鋼の聖母(マドンナ)」
かつて、高校アメフト界に忽然と現れ、弱体極まりない神奈川県立立花高校を、関東大会準決勝に導いた、一人の乙女がいた。「ジャンヌダルクの再来」と呼ばれた彼女の名は林さとみ・・・。そして、彼女のチームメートに、一人の漢がいた。日本アメフト界の至宝・史上最高のQBと呼ばれた佐川隆司である。やがて、二人は結ばれ、愛の結晶・・一人息子が生まれた。その名は佐川大介。後に渡米し東洋の奇跡・ニンジャボーイとしてNFLを席捲することになる男である。
第一章 反抗期
日本アメフト界の至宝・佐川隆司ももはや38歳になっていた。40目前である。さすがに全盛時のキレや力はないが、持ち前の頭脳を生かし、いまだ現役にあった。だが、出場機会は減りつつある。
一方、妻のさとみは、夫のトレーナーの傍ら、女子チーム・ワルキューレの選手としても活躍し、最近では、フットボールの底辺拡大のため、防具を用いない簡易競技であるタッチフットの指導にも励んでいる。同じく38歳だが、その姿は健康的で若々しく、20代後半に見えた。
さて、二人の一人息子・大介は、京王大学付属中学のフットボール部で、QB兼RB、いやオールラウンドプレイヤーとして、大活躍していた。
当然、京王高を経て京王大に進み、宿敵大日大を倒し、関西から勝ち上がる阪神学院を倒すことが大いに期待されていた。
その能力は、日本一といわれた父をはるかにしのぐ素質を持ち、パワー、テクニック、フットワークいずれもすでに高校レギュラー以上で、天才の中の天才と言われるものである。類まれな運動能力を持つ両親を持ち、さらに物心ついたときより玩具代わりに楕円のボールを与えられ、両親の薫陶を得て幼稚園からフットボールをはじめていたのだから、無理もない。しかし体は父に似ず小柄(あくまで父より小さいという意味)、顔形は、ロン毛とまではいかないものの少し長めの髪と女の子のようなやさしい顔で、その母・さとみの少女時代にそっくりだった。
父のパワー、頭脳、闘争心、統率力に、母の優しさ、愛、絶対に諦めない執着心、そして美貌を受け継いだ彼は、まさに神童であった。
学業も優秀、素直でやさしい性格、正しい言葉遣いの彼は、全く手間のかからないいい子で、周囲の評判は最高で、女生徒たちからもモテモテだった。
そんな彼が・・・。
「何?もういっぺんいって見ろ!」普段温厚な隆司の怒号が聞こえる。
「大ちゃん、嘘よね・・・?」さとみが優しく問いただす。
「・・・ボクは、京王高校には行かない」
なんと、大介は、エスカレーター式に進学できる京王高校への進学を拒否したのだ。入学と同時にレギュラーの座が用意され、中学からの優秀なチームメートとともに、全国制覇を目指すことのできるすばらしい環境だ。しかも、名門京王大学への道も開けている。だが、フットボールが上手いだけで行ける場所ではない。それに見合った学力も必要。その点、彼の成績はトップ、いや模擬試験では全国3番になったこともあり、京王どころか、東大でさえ夢ではない。
「バキン!」隆司の巨大な平手が、大介の顔を打つ。吹き飛ぶ大介。だが、彼はすぐに起き上がり、両親に深々と頭を下げた。
「な、なぜなんだ?バキン」再び殴る。
「あなた、やめて!」さとみの悲鳴。だが、大介の意志は変わらない。
「父さん、ママ・・・。ボクの一生に一度のわがままを聞いてください」
「・・・大介・・貴様、一生を棒に振る気か?お前の夢は何だ?目標は何なのだ!」
「それは、アメリカンフットボールで全国制覇することです」
「大ちゃん・・・」
さとみと隆司には理解できなかった。それならば、このまま京王に進むことが、何よりの近道で、その目標は半ば達成されているのではないのか?
「大介、もう一度聞く。ならば、何故素直に京王に行かないのだ?何か気に食わぬことでもあるのか?」
「あなた!まさかいじめられているのかも?大ちゃんの素質を妬んだ上級生が京王高校で待っているから、それがいやで・・」
「・・ハハハ・・♪ママらしくもないや。ボクがいじめられるわけないだろう?」
「こら、真剣になれ。ふざけるな。」隆司はさらに激怒した。だが、手は挙げず、静かに尋ねた。
「お前の本心を聞かせてくれ・・・」
しばしの沈黙のあと、殴られて腫れた顔をきりっと上げ、両親の顔をじっと見据えた大介は、こう言った。
「ボクが・・ボクが行きたい高校は・・・、か、神奈川県立立花高校」
「何?」「嘘?」驚き顔を見合わせる隆司とさとみ。その学校は、二人の母校、二人の出会った思いでの場所・・。だが、フットボールの実力からすると、神奈川県のベスト4がいいところで、まれに2位で関東大会進出するものの、全国制覇とは縁遠い学校であった。
「父さん、ママ・・。ボクは二人が大好きだよ。父さんとママは、ボクを一流フットボーラーにしたかったんだよね。ボクもなりたかった。いや、なりたい、・・・いや、なる!でも、ボクは今のままじゃいけないと思ったんだ。たしかに京王に行けば、よほど運が悪くないかぎり、全国大会には行けるさ。でも、それじゃボクの力で掴み取った栄光じゃない。京王のブランドに頼ったことになるんた。それに・・」ここで言葉がつまる。
「それで、どうした?」
「ボクは、父さんとママが出会った、あの学校が好きなんだ。あそこは、ボクのもうひとつのふるさと、母胎なんだ。父さんだって、あの高校で全国を夢見たはずだよね。だから、ボクも、ボクも・・・あそこから全国を掴むんだ。もう決めたんだ。学校にはおばあちゃんの家から通えるようもう頼んである。」
「大ちゃん!」思わず大介を抱きしめるさとみ・・・・。彼女の脳裏に、高校時代の思い出が走馬灯のように浮かぶ・・・。
陸上部に入ろうと、グランドを見回す16歳のさとみ・・・。そこで見たものは、甲冑に身を包みぶつかり合う選手たち。その中に、ひときわ輝いて見えた選手がいた。上級生かと思ったら、同じ一年生。次の日も、陸上部の見学そっちのけでまた見物・・・。そのうち、「あたしもやってみたい!」と思い、思い切って飛び込んで見たものの、「女の子には無理だ」と追い返される。でも、何度も何度も繰り返し頼んでいるうちに、邪魔にならないなら、玉拾いでもいいなら、とやっと入部を認めてもらった・・。そして、あの屈辱の吉本工業戦・・・。それから髪を切り、走りこみ、トレーニング機器を買い込んでの血のにじむような特訓・・・。そして、念願の公式戦デビュー。今の夫・隆司からのタッチダウンパス・・・。思えば、大介の思い込んだら意地でも貫く強情さは、自分にそっくりだと、そう思う。そして、そんな彼女をいつも夫となる男性(ひと)は見守っていた。そして自分も・・。さとみの涙はとまらない。
「大介。よく言った。しかし一度決めた以上、後戻りはできないぞ。がんばれ」隆司の目にも、涙が光った。
そして、大介は、トップで見事立花高校に合格し、無事京王中を卒業した。チームメートたちともお別れだ。もし、予定通り神奈川県を制覇すれば、関東大会で対決することになるかもしれない。でも、みんなに笑顔で別れを告げた。さよなら京王・・・・。
第2章 鋼の若獅子、始動!
さて、予定通り立花高校に進学した佐川大介・・。都内のマンションから離れ、母方の祖母の家からの通学となる。両親や中学時代の仲間とも離れ、全く新しいスタートであった。
かつて両親が活躍した立花高校・・。湘南地区有数の進学校であり、両親の打ちたてた伝説により公立高としては、まずまずのレベルのフットボール部があった。そのユニフォームは、フランス国旗を模したトリコロールカラーのものである。ブルボン家の紋章にちなみ薔薇の刺繍が入り、その名もファイティングロゼという。だが、彼の両親の恩師・飯田監督の健康状態がすぐれないという難題があった。
公立の進学校だけあり、スポーツ推薦はゼロ。中学からの選手も少ない。また、優等生タイプのおとなしい生徒ばかりで、ばんからな雰囲気は感じられず、スマートだが泥臭さのない、少し物足りないチームであった。闘将・飯田源三も老いた。
そんななかにあり、東京の強豪・京王中出身の大介は、熱烈に歓迎された。上級生やマネージャーたちも、大喜び。大介を一目見た飯田監督は、言葉を失った。「林・・・」そうつぶやいたようだった。長い指導者生活唯一の女子の選手、林さとみ・・。彼女のひたむきな努力とけなげさ、そして、その中にも見え隠れする女の子らしい気配り・・・。それに、どんなにか仲間たちが励まされ、奮い立ったことか。思えば、県の強豪と呼ばれるようになったのも彼女の代からだ。もちろん、彼女自身の選手としての能力は、はっきりいって最低レベルではあった。彼女の夫・佐川隆司の力のほうが実際には何十倍も大きい。だが、得点やプレイに直接貢献しなくても、彼女がいなければ、たとえ一人だけ優秀な選手がいたとしても、県大会優勝は成し遂げられなかったであろう。
そして、今彼の目の前にいる少年は・・、その彼女と生き写しだった。あたりまえだが、彼女の息子である。そして、あの佐川隆司の息子でもあった。
5月の連休明け、大介たち1年生にもユニフォームが与えられた。部員数の少ない公立校なので、一年から与えられるのだ。
「佐川」監督が、まず最初に大介を呼んだ。「ハイ!」元気な返事だ。
「佐川、お前はどこのポジションでもこなせると言ったな。父のようなQBになるのか、母のようなレシーバーになりたいのかしらんが、今は正QBの宮本がいる。とりあえずレシーバーと、ディフェンスではDBをやってもらう。そして、これはお前のユニフォームだ。」
監督から手渡されたユニフォームは♯17。父の♯1ではなく、母のつけていた番号だ。母・さとみの伝説はフットボール部に生きていた。
歓声が沸き起こる。この番号は、彼女の活躍にちなみ、再び女子プレイヤーが現れたときのために欠番として扱われていたが、そんな女の子はついに現れず、半ば永久欠番となっていた。だが、男の子ではあるが、彼女の実の息子であり、かつ、姿かたちが生き写しでポジションも同じ大介に与えられることになったのだ。これには、異存はなかった。
部室には、両親の写真もあった。チームメートはみな高校で初めて会ったはずなのに、持ち前の明るさとやさしさ、そして両親の伝説もあり、すっかりチームに溶け込んだ彼は、そのすぐれた素質もあり、早くもチームの中心となっていった。だが、特別扱いされることを嫌う彼は、ほかのどの1年よりも雑用や重労働をこなし、時にはマネージャーの手伝いもしたりした。その姿も、彼の母親の少女時代にそっくりだった。
そして、ついに春の大会。彼のデビューの時が来た。
第3章 初陣
大介のデビュー戦、大日大第八高校戦だ。この学校は、強豪大日本大学の付属高校のひとつでもあり、将来のライバルもたくさんいる高校だ。巨漢そろいの強敵だ。大介は1年で唯一、スターターに名を連ね、レシーバーとして出場した。前半こそ苦戦したものの、力だけに頼ろうとする敵の隙を見抜いた彼は、キャプテンの宮本に進言、一気に巻き返し、僅差ではあったが勝利を収めた。
つづく第2戦は、かつて両親の時代宿命のライバルだった吉本工業高校、その監督には、なんとあの井上忍が就任していた。かつてのライバルの息子を倒そうと、その蛇のような執念で大介を徹底マークする井上監督の作戦に、大介は徹底的に潰されたが、父譲りの強靭な体力と精神力で立ち上がり、これにも勝利。試合後、井上からの激励を受けた。
「ご両親に負けない若武者ぶりだ、がんばれ」と。もう、かつてのわだかまりはない。
このように、実践においては父譲りのパワーと頭脳で敵を倒し、練習では母譲りのやさしさと気配りを見せる彼の信頼性は抜群になっていた。
つづくY商戦には圧勝した立花高校は、準決勝で旺盛二高と対戦した。前年のクリスマスボウル覇者である。決勝前に当たってしまったのは痛い・・。
そして、ついに決戦の火蓋が切って落とされた。大介も宮本もがんばった。だが、旺盛二高の壁はあまりにも大きかった・・。完敗である。そして、敗北以上の衝撃をファイティングロゼを襲った。老将・飯田監督が試合中倒れてしまったのだ。76歳という高齢もあり、ついに倒れてしまったのだ。監督が倒れた直後、大介の執念の1ダウンがあったもののこれまで。後は指揮官を失いズルズルくずれて大差での敗北であった。負けた悔しさもあったが、借りは秋に返せる。それよりも、監督のことが心配な一堂であった。
第4章 鋼の聖母(マドンナ)
幸い、監督に生命の危険はなかった。しかし年も年、いつまた倒れるかわからない・・。このままでは、秋に雪辱を果たし、関東大会も制覇してクリスマスボウルで阪神学院を倒すことはできない・・。しかし練習はつづいていた。
そんなある日、都内の佐川夫妻のマンションに、客人が訪れた。
「あ、あなたは・・飯田先生!」
突然の恩師の来訪に驚く夫妻。
「試合中倒れたと聞きましたが、大丈夫ですか?」
「いや、だいじょうぶじゃ。実はな、そのことでお前に頼みがあってきたのだ・・・」
「私にできることなら、なんなりと。」「おい、さとみ!先生にお茶だ」
「はい」
「ズバリ言おう。佐川よ、わしに替わって、立花の監督を引き受けてくれんか?ワシはもう、限界じゃ。今年はお前の息子をはじめ素質のある選手がそろった。全国はともかく、関東ベスト4は十分に狙えるんじゃ。じゃが、ワシのようないつまた倒れるかわからんオイボレがいたのでは、せっかくの芽を摘むことになる。お前も自分のチームもあるしゃろうが、ここをまげて頼む」
「・・・・。」腕を組んで考える隆司。大恩ある飯田が頭を下げている。これを断っていいものか?だが彼もいまだ現役。今年の試合のスケジュールもある・・・。即答はできなかった。
「わかっておる・・。お前もまだまだ現役をつづけたいのじゃろう。無理をいって済まなかった・・・」立ち上がり、帰ろうとする飯田。
「待ってください!」
台所から戻ろうとしたさとみが叫ぶ。
「あたし、あたしやって見ます。あたしなら、ダンナとちがって時間はあります。タッチの指導の経験もあります。あたしでよかったら、先生の役に立てるなら、ぜひやらせてください!」
あの時と同じだ。一度情熱をもったら、だめといっても無駄な性格を飯田も隆司も知っていた。だが、はたして体力的にはるかに上の年頃の野獣のような少年たちに、女の監督でつとまるのだろうか?だが、そんなことを恐れる彼女ではない。
「さとみ・・・」「林、いや佐川・・」
そして、次の日曜の練習のときである。なつかしい母校のグランドに、ジャンヌダルクは帰ってきた。
飯田監督が紹介する。
「ワシは、もう年じゃ。今日限りで顧問に退かせてもらう。今日からお前らを扱いてくれるのは、この人だ。どうじゃ、誰かに似ているだろう?」
「あ、あなたは!」
「大ちゃんにそっくり!」
「大介の姉さんか?」
トレーナーにスパッツ、ジャージを羽織りホイッスルを首に下げ、長い髪は纏めて上に上げている。
一同、彼女の顔は知っていた。他ならぬ大介の母・さとみ、偉大なOG・伝説のジャンヌダルクである。しかし大介の母であるはずの彼女は、あまりにも若々しく、少し年の離れた姉にしか見えなかった。このとき39歳である。
「みんな!今日からお世話になる林さとみです。絶対旺盛に勝って、その後京王や大日にも勝って、絶対クリスマスボウルに出ようね!」
「うぉぉぉぉぉぉぉーーーーっ!」若くて美しい新たな指導者に、一同感激。それにしても、何故旧姓の「林」?まさか離婚したのではと大介は心配した。なにせ4月から別れて暮らしていたので、まさか母が監督になるとは思っていなかったからだ。(父が監督になるのではと思っていた)
「女の監督だからといって馬鹿にしないようにな。彼女はなにせ・・」
「知っています!ジャンヌダルクです」全員が声を揃えて答える。照れるさとみ。だが、息子の大介だけは、疑念のまなざしを向けていた。
さて、さっそく新監督のもとの練習が始まった。ランニングのあと、タッチフットだ。これはタックルはないが、体がよくほぐれ、実戦的な練習を楽しくできる。普段はグランドを走り回ることのないマネージャーも混じって楽しくプレーした。パートごとの練習は、それぞれのリーダーに一任した。
いままで、フットボールがこんなにも楽しいとは思わないほど、時間や疲労を忘れるような楽しい練習だった。選手たちの表情も明るい。
だが・・。彼女の作成した筋トレのメニューを見せられたとき、一同の表情は一変した。合理的ではあるが、ものすごい量のトレーニングだ。
「佐川クン」いきなり、大介が指名された。実の母に、名前ではなく「佐川クン」と呼ばれたことに戸惑いもあつたが、ハイ!と明るく答えて進み出た。すると、いきなりユニフォームをめくられた。
「みんな見て!この子は小さいときからそのメニューをこなしているの。その成果がこれよ」見事に発達した肉体がそこにあった。みな知ってしいたが、改めてそのトレーニング方法を見せ付けられたみんなは驚いた。さらに、監督は自らのトレーナーも少しめくって、腹筋の一部を見せた。
「おばさんのあたしでもこのぐらいなんだから、みんなならもっとすごい体が作れるわ。今日から、毎日絶対やるのよ」
「ハイ!」元気のいい返事だ。だが、大介だけは違っていた。
その夜、帰宅した大介を母が待っていた。
「お帰り、大ちゃん。」
「・・・ママ、いったいどういうこと?聞いてないよ。それになんで旧姓なんだ?父さんとけんかしたのか?」
「フフ。何もわかってないのね。パパとママは離婚なんてしてないわ。でも知ってのとおり飯田先生、お年でしょ。それでパパに監督の話あったんだけど、今シーズン中でしょ。それでママが引き受けたのよ。でも、息子の大ちゃんがいるでしょ、だから、けじめをつけるため、グランドでは旧姓を使っているし、大ちゃんもほかのみんなと同じように佐川君って呼んだのよ。わかった?」
「わかったけど、なんか照れくさいや・・。でもママ、いや監督、ありがとう」
「いいのいいの、親子でしょ。おうちではママでいいのよ。それにここはあたしの実家だし。あ、そうそう。特別扱いはしないわ。大ちゃん、君もトレーニングよ。」
「はーい」これは、幼いころからの日課でもあった。
かつてのさとみのトレーニングルームはそのままになっていた。そこで母子は、激しいトレーニングをはじめた。
大介は、どきっとした。薄いTシャツに形のくっきり浮き出たスパッツ姿で腹筋運動をする母・・・。まぎれもなく、実の母親である。しかももうすぐ40歳だ。だが、しかし・・・。あまりにも可愛いのだ。そして美しく、逞しかった。
「大ちゃん、何ぼんやり見てるの!あんたがやらなくてどーするのよ?試合にでるのはママじゃなくて大ちゃんなのよ・・。」
「・・・」大介も練習をはじめた。幼いころから鍛えた彼にとってこの部屋にある錘は軽すぎた。そして、また手を休めて母をじっと見る。
「・・・」「こら、大介!どこ見てるのよ?」大介の視線は、さとみのもっこりとした股間、そしてそこから舐め上げるように割れた腹筋、小さく尖った胸、39歳とは思えない童顔と移っていく。
「ママ・・・。綺麗だね。」
「もー。何言ってるのよ。まじめになりなさい」
「ボクはいつだってまじめだよ。ママ、本当に素敵だ。」
今まで、大介はあまり女の子と触れたことがなかった。幼いころからフットボール漬けたったからだ。また、顔が女の子に似ていたためバカにされたこともあり、女の子はあえて避けていた。いや、幼いころ母とともに女子チームにまざって練習したことがある。だがそれは幼児のときの大人の女性。大人と子供である。だが今彼は立派な体格の青年になっていた。そして、初めて「女性」として意識したのが、他ならぬ母・さとみであったのだ。少し遅い初恋である。
彼の心に、父・隆司に対するライバル心が芽生えた。
「もーう大ちゃんったら、いけない子ね。まじめにやりなさい。錘が足りないのなら、ママをおぶってスクワットよ。ママなんて大ちゃんぐらいのとき、倍の体重のあるパパをおぶってやったんだから。軽いママなんて楽勝よね。さ、早く。」
しかし逆効果だ。彼の全身に伝わる母の柔らかい感触・・・。ついに大介は母を押し倒してしまった。そして・・
「大好きだママ。パパにはもう返したくないよ」
「ビシっ」さとみはついに、初めて大介を殴った。
「大ちゃん、ママも大ちゃんが好きよ。でも、けじめはつけないとね」
「ごめん・・・」それから大介は、母への思いを封じ、その優しくも厳しい扱きに耐えて、めきめきと力をつけていった。
そして、県大会を勝ち抜き、いよいよ関東大会・・・。
その決勝に進んだのだ。勝てば全国大会。すでに関西代表は阪神学院と決まっている。関東大会の相手は、他ならぬ京王・・・中学のちーむメイトや先輩のチームだ。しかし、さとみと大介がそこで見たのは・・・メガホンを取り怒鳴る男、それはなんと、父であり夫である佐川隆司!
なんと、突如自らの選手生活を中断して、京王の監督になったのだ。それも、前の試合、神奈川の代表が立花と決まったあとの突然の出来事だった。
驚き悲しむ大介。母とともに全力をあげてチームを育て上げてここまできたのに、それを叩き潰そうとするのは実の父、そして友。
逆に隆司にとつては可愛いわが子、いとしい妻をこの手で叩き潰そうと心を鬼にして襲い掛かってくるのだ。
しかし、大介の心は今までになく高鳴った。父・隆司はいつか必ず乗り越えなくてはならない壁。そして、母をめぐるライバルと考えていたのだ。
父&友VS母&子の宿命の戦いが今始まる。
キックオフ。激しくぶつかり合う両軍。以前は弾き返された立花の選手たちがふんばる。この数ヶ月間、さとみ監督の指導の下体作りにはげんだ結果、強靭な肉体を作り上げてきたのだ。だが、名門・京王には一歩及ばず、押され気味である。この試合からQBになった大介は、なんとか敵のディフェンスの隙を崩そうと考える。そしていろいろ試す。だが・・。敵には、日本一のQB佐川隆司が策を授けていた。簡単に打ち破られる大介の作戦。体力でなんとか五分、技術と層で劣る立花は、大介の頭脳によりこれまで実力が上のチームを倒してここまでやってきた。だが、偉大な父の壁はあまりにも厚い。だが、これに勝たなければ幼いころからの夢、父の夢、母の夢はお預けになってしまう。まだ1年だから次のチャンスがある、という者もいる。だが、大介はもう決めていた。絶対今年優勝して、母への思いを断ち切るため、来年からは米国に留学し、最終目標であるNFLを予定より早く目指そうと。だから、たとえ父が立ちふさがろうとも、友が牙を剥こうとも、絶対に負けられないのだ。
技術・体力・頭脳で敗れたら、後ひとつ・・・そう、根性が残っている。思い立ったことは必ずやりとげる根性・・。母譲りの根性だ。根性で技術に勝つということは、母から譲られたもので父に勝つことになる。いわばこの試合そのものなのだ。
押されながらも得点を重ねた立花は、わずかにリードされた状態で前半を終えた。
みんな汗びっしょりだ。一人一人をはげますさとみ監督。そして、彼女はついに、自らプロテクターを纏った。もちろん、試合に出るためではない。みんなを鼓舞しようとしたのだ。ワルキューレのピンクのユニフォームに、大介と同じ17番が輝く。
「監督!」みんな、さとみを見上げる。いかついプロテクターをつけ、逞しい姿ではあるが、その姿はもはや、かつてのジャンヌダルクではない。より慈愛にあふれた、神々しい姿。それは、まさしく鎧を着けた聖母マリア・・・マドンナの姿であった。
(ママ・・・わかったよ。ママは、監督になったあの日から、ボクだけのママじゃなく、チームみんなの母親になったんだな。よし、ボクも負けないぞ。みんなのママだけど、ボクのママでもあるんだ。そして今は父さんのものじゃない。今こそ父さんを乗り越えるときがきたんだ!)心の中で大介は叫ぶ。
後半開始。流れがガラリとかわった。走る、走る!みんな、まるで十字軍のように突進する。勢いづいた立花の前に百戦練磨の京王もたじたじ・・・。一進一退の攻防が続く中、京王有利かと思われた終了直前、大介のインターセプトからの独走タッチダウン、つづくリターンで大逆転、そこで試合終了。なんと、京王に勝ってしまったのだ。ばんざーい。感極まって逆に泣きじゃくる選手たち。
整列して礼をしても、涙は止まらない・・まだ、全国大会があるというのに・・。
そんな立花にカツを入れたのは敵将・佐川隆司だった。
「君たちは関東代表なんだ。もっと胸をはって、われわれの分までがんばる義務があるぞ」
「ハイ」元気よく涙をふいて答えるみんな。スタンドから巻き上がる歓声、拍手。いつしか京王の選手たちまで拍手している。そして・・
両軍の全選手が、立花の佐川さとみ監督を胴上げする。
「この奇跡を起こしたのは、かつてのジャンヌダルク・・今はマドンナ」アナウンサーも絶叫した。
その輪の中で、大介は父にそっと言った。
「父さん。ボクはあなたに勝ったよ。・・・ありがとう。ボクを大きくするため、わざと敵の監督になってまで、憎まれ役を買ってまで・・・」
「勘違いするな。オレははじめから京王の監督になるつもりだったのだ」しかし、本心は大介のいうとおりたった。
そして、勢いに乗る立花は、阪神学院と対決。スタンドには、ライバル校の選手たち、父・隆司、吉本の井上監督、母の仲間の奈緒美ら、大介とさとみを見守ってきた全員が駆けつけ、その声援の中、奇跡の勝利を収めたのだった。
戦いは終わった。そして、栄冠を手にしたのは、鋼の聖母に率いられた立花高校・・・。
その興奮もさめない中、1年ながら中心選手であった佐川大介から衝撃の告白。なんと中退して米国に留学するという・・・。NFLを目指すためである。みななが惜しみ、引き止めたが彼の意思は固い。母譲りの頑固さだった。
そして、旅立ちの日。両親に別れをつげる大介。
「父さん、ボク結局父さんには最後まで勝てなかったよ」
「何?お前はオレに勝ち、その上阪神にも勝ったではないか?」
「ボクみちやったんだ。あのあと父さんとママが抱き合っているのを。負けたよ、父さん」
「まあ、大ちゃんったら・・」
「ハハハ・・。マセたガキだな、お前は・・むこうでもがんばれよ。俺たち3人の夢だからな」
「わかったよ、父さん。ママを大切にね。ボクの一番大切な女性(人)だから・・・」
「心配ない。それはオレも同じだ。オレにとって、なによりの宝はおまえとこいつだからな」
「まあ」
「それじゃ、さよなら」
やがて、大介を乗せた飛行機は定刻どおり飛び去っていった。いつまでも手を振るさとみと隆司。
「あなた、あの子いってしまったわね。」
「俺たちの役目もひとまず終わったな。次は何をやろうか・・・」
すでに隆司は京王の監督を辞任していた。本業の弁護士に力を入れるか、クラブチームでつづけるか・・。
「・・・」じっと隆司の顔を見上げるさとみ。
うなずく隆司。
「こんどは、女の子がいいな」
大介を育て上げたさとみは、こんどは女の子がほしいと暗に訴えたのだった。少年時代からの夢を達成し、開放された二人のあらたな出発だった。
米国に渡った大介は・・・その後順調にハイスクール、ncaaを経て、NFL入りを果たした。かの地では身軽な体と頭脳的トリックプレーを生かし、「ニンジャボーイ」と呼ばれて大活躍している。そのころ、さとみの胸には、小さな女の子が抱かれていた・・。この子が母と同じくジャンヌダルクになるのかどうかはわからないが、そこにはすべての戦いから解き放たれたふつうのおばさんとしての幸せな日々があった。
さとみ、隆司、そして大介に幸あれ
完。