Juan VERON(ARGENTINA)



ファン・セバスティアン・ヴェーロン。
(Juan Sebastian VERON)ラツィオ所属、MF。
186cm、80kg。1975年3月9日、アルゼンチン、ブエノスアイレス出身。

1968年、エスツディアンテス(アルゼンチン)の一員として、
インターコンチネンタル・カップに出場し貴重なゴールをマークした
ファン・ラモン・ヴェーロンを父に持ち、その血をしっかりと受け継ぐ。
アルゼンチンの多くの少年がそうであるように、
ヴェーロンも自然とサッカーをするようになる。
最初は4本の棒を歩道に立ててゴールを作り、
つぶれた缶で遊んでいたのが始まりという。
それから、父の所属していたエスツディアンテスのユースに入ることになる。
父がスター選手だったというプレッシャーの中でも、
彼は無邪気にサッカーだけを楽しんでいた。
トップチーム昇格は19歳の時。華々しいプロデビューを飾る。
2年間そこでプレーを続けていたヴェーロンは、その才能を見抜かれて
アルゼンチンの強豪クラブチーム、ボカ・ジュニアーズに移籍する。
ボカでは半年しかプレーしなかったが、その間には人気、実力ともに最高の
天才ディエゴ・マラドーナと一緒にプレーする。そこで彼から多くの事を学ぶ。
ヴェーロンにはすぐにイタリアからたくさんのオファーが届いた。
その中でもサンプドリアは熱心だった。
当時サンプドリアでプレーしていたロベルト・マンチーニが、
ヴェーロンをイタリアに誘うのに随分骨を折ったという。
「ヴェーロンを説得してくれ」と、頻繁にマラドーナのところへ電話を入れたのだ。
マラドーナはヴェーロンがイタリアに行く事にあまり賛成していなかったが、
マンチーニの誘いの事を話し、イタリアのリーグについても詳しく教えた。
結局最後には圧力をかけられ、マラドーナもヴェーロンのイタリア行きに同意することになる。
今でもたまにだが、マラドーナとは連絡を取っている。
コカインは後戻りのできないものだと言う事を、頑なに教えてくれるそうだ。
自身がコカインにとり憑かれてしまっているからこそ、彼はそう言うのだろう。
ヴェーロンは少年時代からの憧れのマラドーナを今でも変わらず尊敬している。

そうしてイタリアに渡ったヴェーロンは、サンプドリアで中心選手にまで成長。
その若さながら、チームを牽引した。
ヴェーロンはサンプドリアというチームがとても好きだ。
ジェノバの街、そして熱狂的なサポーター。
アルゼンチンにいるような錯覚さえ起こした。
98ー99シーズンからはパルマに移籍する事になるのだが、
その時ヴェーロンは故郷を後にするような感覚だったという。
彼がチームを離れた理由は「スクデットを狙えるチームでプレーしたい」
ただそれだけだった。それさえなければ、残っていた。
またサンプドリア時代には、夜遅くまで出歩いて非難される事もあった。
しかし彼はこう言う。

「僕の性格はさっぱりしている。
はっきりした考えを持っているし、隠し事はしない。
人生は1回きりだし、自分に与えられたすべて、
今後与えられるであろうすべてを取り入れていこうと思う。
だから、いつも自分の気に入った事をしている。
稼ぎが良くなればその分多くのことが許されるからね。
あまり深く考えてはいないよ。
こんな奔放な性格も、父から受け継いだんじゃないかな」



そして98フランスW杯でも、レギュラーとして出場。
イングランド戦で見せたキラーパスは今でも忘れ難い。
この大舞台にも怖じる事なく、非凡な才能を発揮した。
と同時に、全世界にその名を知らしめたのである。
敗れたオランダ戦についても、こう振り返る。

「オランダは世界で一番戦術の整ったチームだ。
ただ、僕たちも勝てなかったわけではない。
思うように集中力を持続できずに、ゲームを組み立てられなかっただけだ。
まだやり直せる時間も充分にあるし、必ず結果は残せるはずだよ」


W杯後”勝つこと”だけを目標にパルマへと移籍したヴェーロンだったが、
物事は彼の思うとおりうまく進まなかった。
パルマに”勝とうとする意思”は充分にあったが、
けど、その継続性には欠けていたのだ。
不安を抱えたまま勝利を追求していたのである。
現にパルマはUEFAカップ、コッパ・イタリアを制しながらも、
一番肝心のスクデット獲得を逃してしまった。
しかしヴェーロン個人としては、シーズンを通して素晴らしい活躍であった。
リーグで見せた左サイドからの38m超絶フリーキックでのゴールに、
空中で2回リフティング、そしてボールを落とさず強烈なボレーでゴール・・・・。
こんな事ができる選手は、そうは見あたらない。
彼抜きでは、パルマの98-99シーズン2つのタイトル獲得は無理だっただろう。

そしてヴェーロンは99年、我がラツィオへと移籍。
大都市でプレーしたいという願望と、サンプドリア時代の同僚である
マンチーニがいたという事が移籍の決め手だったろう。
彼はマンチーニについてこう話す。

「マンチーニは素晴らしいアドバイザーだし、サッカーの師でもある。
また、プライベートでも世話になっているし、僕に何でも言えるのは彼だけだ。
今の僕は、彼といていろんな話を聞くのが好きなんだ」


マンチーニは今季限りでの引退を表明しているだけに、
スクデットを獲得して花を添えてやりたいところだ。
弱冠24歳にして、世界で最も厳しいとリーグの頂点に上りつめようとしている
ファン・セバスティアン・ヴェーロン。
ここまでの彼の活躍を見る限りでは、すでに到達してる感さえ強い。

繊細なテクニック、豊富な運動量、正確で強いキック・・・・・
もはやチームに欠かすことのできない存在である。
勝利を追い続ける彼のこれからの活躍を期待しよう。
ラツィオを優勝させてもらいたい。(最終更新日:2000.1.26)



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