BATISTUTA(ARGENTINA)



ガブリエル・オマール・バティストゥータ。
(Gabriel Omar Batistuta)
185cm、73kg。1969年2月1日、アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれ。

78年、地元開催のW杯で優勝したアルゼンチン代表に憧れ、サッカーを始める。
88年、ニューウェルズ(アルゼンチン)でプロデビューを飾る。
91年に初代表、同年の南米選手権で得点王を獲得。
一流ストライカーの仲間入りをした。
同年、ボカ・ジュニアーズからセリエAのフィオレンティーナへ移る。
2年後、すでにリーグを代表するストライカーとしての地位を
築いていたバティに暗雲の時が訪れる。チームの降格、である。
この年低迷したフィオレンティーナは、まさかのセリエB落ち。
チーム、サポーター、フィレンツェの街自体が途方に暮れた。
頼れる点取り屋のバティには当然、他クラブからの誘いも殺到した。
「セリエBで1年過ごすくらいなら、ウチに来てやらないかい?」と。
しかし「契約をまっとうしたい」と大方の予想に反して彼はフィレンツェの街に残った。
そしてセリエBでも16点を挙げ、チームの中心となった。
その甲斐あってか翌年フィオレンティーナは無事にセリエA復帰を果たす。

そして迎えた94年アメリカW杯。デビュー戦でハット・トリックを達成。
開始わずか85秒、ドリブルからDFとGKの間を股抜きする技アリゴール。
その後もPKなどで2点を追加して、活躍。
そして決勝トーナメント1回戦のルーマニア戦。
バティはここでも1点をもぎとる。しかし、チームは敗退。
バティストゥータは計4点の大活躍だったが、敗退した事のショックの方が大きかった。
94−95年には26点を挙げセリエA得点王を獲得する。
しかしこの頃からバティの病気(?)が始まるようになる。
毎年春になると「出ていく」とごねて、年棒アップを勝ち取るのである(笑)
バティは2年前、パルマのタンツィ会長と合意にまで至っていた。
フィオレンティーナの幹部と意見も入れ違っていた為、移籍は確実かと思われた。
しかしそれを止めたのは、当時監督に就任したばかりのトラパットーニだった。
彼が就任してからというもの、バティの”病気”は出ていない。

「私はおそらくフィレンツェで現役引退することになるでしょう。
それにはトラパットーニ監督がここに居続ける事が条件です」


96ー97シーズンには、怪我などに悩まされあまり活躍はできなかった。
そのせいか代表の方にもあまり呼ばれなくなる時期が出てくるのだが、
ワールドカップ予選前に復調し、代表にも無事復帰する。

そして迎えた98年フランスW杯。
バティは初戦の日本戦で決勝点となる1点を挙げる。
DFに当たってゴール前に転がったボールに素早く反応して、
川口を越すループシュート。冷静でないと出来ないプレイである。
点の瞬間、後ろから名波がバティを蹴ってでも止めそうなしぐさを見せていたが。
そこで蹴って止めたとしても、PK授与&退場処分のダブルパンチであった(爆笑)
我が日本は善戦したものの、この男の挙げた1点に泣いたのである。

そしてバティは1次リーグのジャマイカ戦に、信じられない事をやってのける。
そう、ハットトリックである。しかも11分間に3得点、大爆発である。
PKがあったとはいえ、到底まねできない離れ業だ。
それに加え”W杯2大会連続ハット・トリック”という
今まで誰も為し得なかった記録を生み出す。
チームは準々決勝で、オランダに1-2で敗れてしまうが、
バティは合計5得点を挙げ、W杯通算9得点。
”あの”マラドーナらの8得点を抜き、アルゼンチン代表のW杯歴代得点王となった。

バティは激昂し、声を荒げて気迫でゴールに迫る。そんな熱きストライカーだが
家に帰ると家庭を守る、1人の優しい父に変わる。
妻のイリーナ、3人の息子ディアゴ、ルカス、ヤクイン。
バティが練習を除いてあまり公衆に姿を見せないのは、
彼らと共に過ごす時間を大切にしているからである。

バティは家族にかなり女の子が欲しいらしく、
もうつける名前まで決めてしまっている。
名は”セレーネ”ギリシャ語で「月」という意味になるそうだ。
でも妻のイリーナが出産に立ち向かう準備ができていないので、
医学が男女の産み分ける方法を見つけるまで待つか、
もしくは4,5年後に養子をもらうか、とかなり試行錯誤中だ。
もう〜、どうしても女の子が欲しいらしい(爆)

奥さんのイリーナは、テレビ局の番組の為に毎週スポーツ選手や俳優、
文化人にインタビューをする仕事を始めた。
彼女はその仕事をとても気に入っている。
そんないきいきとした彼女を見ているバティも満足しているようだ。
イリーナさんはフラメンゴ音楽に特別な情熱を持ち、いつもディスコに
バティを連れて行こうとするのだが、バティ本人は外で楽しむよりも
家で好きな音楽をゆっくり聴く方が好みのようだ。
スティング、フィル・コリンズは大のお気に入りらしい。
滅茶苦茶Rockって感じがするのにね。首とかガンガン振って(笑)

他に彼の趣味は、F1を見ること。
あのミハエル・シューマッハーとも知り合いになり、
今では気の合う友達だそうだ。
バティの家はフィレンツェ郊外の丘の上にあり、
車で1時間かければサーキットという環境にある。
彼はそこで、何度もフェラーリのテスト走行を見たそうである。
あと彼は飛行機の操縦にも興味があるらしく、去年ライセンスを取るために
何度か講習も受けてるそう。
仕事が仕事なだけにあまり時間も無く、途中で中断しているらしいが。
しかし空を飛ぶことにかなりの魅力を感じているようで、諦める気は全く無い。
だから今のところはバーチャルの飛行機操縦ゲームで我慢しているそうだ(爆笑)
”毎日何かしら新しい発見がある”というのが、彼のモットー。
いつも動いてなければ気が済まない性格、と本人も言っている(笑)

「フィオレンティーナは毎年新しい選手を補強してスクデット獲得を目指してきましたが、
いろいろな理由でシーズン途中で力が落ちてしまうという繰り返しでした。
まだ主役の座に君臨するには熱していないのかもしれません。
でも引退するまでには私は大きな成功を勝ち得たいと思っています。
点を決められる限り、FWの位置をほかの選手に譲ったりはしません。」


そう話す彼の瞳には、何の曇りもない。
彼ほど貪欲にゴールだけを狙う”本能”に長けたFWは
過去を見てもそうはいないだろう。
現在はかなり復調してきている。
あのトップフォーム時の弾丸シュートも、もうすぐ見れるだろう。
決めろバティ・ゴール!Ti Amo Batistuta!(最終更新日:2000.1.20)




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